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鎌倉検定3級「歴史・旧跡」頻出項目
長尾景虎(上杉謙信)
上杉憲政から山内上杉家の名跡と関東管領職を鶴岡八幡宮で譲られる
鎌倉検定3級出題頻度 : 7回
- ●過去の出題傾向
- (4回)「関東管領職を鶴岡八幡宮の神前で譲られた戦国大名」→「長尾景虎(上杉謙信)」
- (2回)「長尾景虎が上杉憲政から山内上杉家の名跡を譲られた場所」→「鶴岡八幡宮」
- (1回)「長尾景虎に家名を譲った上杉氏は何家」→「山内家」
●学習メモ(覚えておきたいこと・私的メモなど)
高い知名度を有する戦国大名に関する内容なので、出題頻度は高めです。
譲られた人物を問われることが多いですが、譲られた場所、譲った人物が何家の上杉氏かも覚えておくことが大事です。
「上杉憲政が長尾景虎に譲った職制」→「関東管領」
という出題の仕方も考えられます。
「関東管領(かんとうかんれい)」は鎌倉公方(鎌倉府の長官)の補佐役として、室町時代に設置された職制です。
関東管領を務めた上杉氏は「山内(やまのうち)家」と「犬懸(いぬかけ)家」の二家ありました。
1416年(応永23年)に起こった「上杉禅秀の乱」で犬懸家は滅亡しました。以降は山内家のみが関東管領を世襲するようになりました。
山内家と犬懸家に「扇谷(おうぎがやつ)家」「宅間(たくま)家」を加えた四家が鎌倉の上杉四家になります。
長尾景虎が上杉憲政から関東管領職などを譲られたのは1561年(永禄4年)のことです。
上杉憲政の養子となった長尾景虎は上杉政虎(うえすぎまさとら)と改名しました。
上杉政虎が謙信の法号を名乗るようになったのは1570年(元亀元年)のことです。
関東管領の職は上杉憲政から譲られた時点で既に有名無実化しており、上杉謙信が歴代最後の関東管領となりました。
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