1997/11/09
アタック25の予選に参加。今回もまた午前10時の時間で呼ばれ、眠い目をこすって電車に乗る。ABC会館の最寄りである芝公園に着いたのが9時55分。初めてここに来た人なら道に迷って遅刻する可能性は高いが、もう7回目の道なのでものの3分で会場に着く。待合い場所では誰か知っている人がおらんかな〜と見回すと、矢野了平の顔が見えた。その方向へ行くと、珍しくペットの森家盛を従えていない菊池かおりと、でじま杯の準備で忙しいはずの井上こーぢがいた。
10時をちょっと過ぎて、会場に入るよう指示され、今回もまた自己PR表をテキトーに書いて予選の筆記に挑む。これまで6回予選を受けて筆記の成績は●○●●○○で3勝3敗。今回でどうにか勝ち越したいところであった。筆記の問題は基本問題がほとんどで、いつもは7〜8問出題される時事問題が5問しかなかった。「飯島直子」を答えさせる問題で「○月○日に結婚“する”」と読まれたのには笑ったが、最近死んだパンダ(ホアンホアン)を答えさせる問題でパンダの名前が交錯して思い出せないというヘボいミスをする。あとは外務大臣の名前を知らなかった以外は正解の可能性が高いであろう解答ができたので、まぁ筆記落ちはいくらなんでも無いだろうと若干余裕を持つ。
採点が終わったようで、筆記通過者の発表。この回は全員学生を集めたそうだったが、全体の成績はとんでもなく悪かったらしい。あの問題は(基礎ができている)クイズ研プレイヤーは確実に拾っていけるが、一般学生にはちと厳しい内容だったようである。一番最初に呼ばれたのは東大の鶴祐一君。以下順番に通過者が呼ばれ、「33番・矢野さん、35番・井上さん、36番・鈴木さん、48番・菊地さん」と、デキレースのようにクイ研メンバーが揃った。一方で、芝浦オープン4位の武笠龍彦君がこの筆記で敗れ去ったことも付記しておく。通過者は8人で、他の3人はクイズは好きだけれど、各自大学環境のせいでクイズ研には入っていない(入れない)という人達であった。
面接はいつも通り、自己紹介をしてスタッフの方と受け答えをするもの。今まで3度面接を落ちているので、一体どうすりゃ通過できるのか攻略法を知りたいのだが、そんなものがあるわけ無いので、いつも通りに話をする。今回は「大学院」「アルバイト」「クイズ」の3点に絞って話をしたが、手応えはいつも通りよくわからないものであった。
帰ろうとするところを、さっき予選を勝ち抜けた一般(?)学生から「パンチョのページで7回連続で満点取ってる方ですよね?」と声をかけられる。パンチョさんを呼び捨てにしたことから知り合いかと思ったが、どうも知り合いと言うよりオブジェクトとしての名前で呼んだようである。話を聞くと、どこかのサークルに口を利いてくれと言うのだが、人にものを頼む態度ではなく、ブチ切れそうになる。(隣にいたこーぢはとっくに切れていたが)この文章だけでは「舟太ってちょっとモノ知ってるからって偉そうにして、度量が狭いな」と思う人がいるかも知れないが、いくら自分が貧困に窮しているとはいえ、もう18を過ぎた大人なのだから礼節はわきまえるべきである。クイズに強くなる前に社会常識は身につけてもらいたい。
矢野とかおりはまっすぐ家に帰るので、こーぢと共にマックに入って筆記の自己採点。結果はといえば私が18点、こーぢが17点と、楽々通過できる成績だった。私の世代はテレビのクイズ番組からオープン大会へ活躍の場が移っていく過程にあったから、何だかんだで原点の基礎問題は抑えられるようであった。
1997/11/14
アタック25の面接結果が届いた。また不合格。「再度のアタックをお待ちしております。」だとさ。同じ面接に4回も落ちたとなると、就職の先行きが不安でならない。
<後日談> 井上こーぢ、矢野了平は後に本戦出場。特に矢野了平は深澤岳大との大激戦を制して優勝した。