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第2回同志社オープン

と、大阪オープン

このページの内容は、「近況報告」の内容を抜粋したものです。


1997/12/20
4時起床。5時出発。キャスターの付いた旅行用カバンにリテラシ杯公式問題集を入るだけの90冊詰めたこともあり、とんでもなく重い。これを家に持って返ることにならなきゃいいが....と不安は隠せない。初回ロットの90冊完売が最上の結果であるが、世の中そんなに甘くないだろうから、目標は50冊に定める。
6時13分発の新幹線に乗り、一路京都へ。車内でクイズ問題集を読むことと、仮眠を取ることを繰り返すうち、富士山が見えてきた。ゲンを担いでいるわけではないが、新幹線で西へ遠征する際に富士山が見えると、不思議といい成績が残せるので、今回は結構期待できそうであった。
8時52分京都着。適当なところで朝食を取ったのち、同志社大学へ向かう。地下鉄に乗ろうとしたところ、カネキチと中さんらという、どうしてこういうバリエーションを取っているのかよくわからない遠征組と出会う。カネキチは問題集に気付いて、「あんまり恥をさらすなよ〜」と軽口をいつもの通り叩く。その後も、「売れるのか?」とか嫌なことを言ってくるのだが、私自身が「売れるのか?」だからしょうがない。
10時ちょっとで同志社大学に到着すると、何人かがたむろしていた。問題集を一冊見せてみて反応を確かめると、結構良さげだったので、早速売り始める。すると予想外に買いに来る人がいて驚き。いつの間にか行列まで出来てしまっていて、カバンに詰めた問題集が見る間に減っていき、嬉しい悲鳴をあげる状態。結局、まだまだ行列があるというのに用意した90冊は完売。

<リテラシ杯公式問題集についてのこと>
お買い上げいただいた方、ありがとうございます。また、買いそびれた方のために別途方法での販売を行います。1998年1月アタマの五大対抗戦で販売することが決まりましたので、五大学の方や、その所属者に頼んだりするなどして御購入ください。それと、郵便料金を負担していただくことになりますが、郵送での販売も行う予定でおりますので、郵送費節約のためにサークルでの一括購入をオススメします。

本日の売り上げ:90冊×700円=6万3千円

でも、まだ印刷代に届いていない赤字状態。果たして、印刷した全冊子を販売することが出来るのか?
知り合いでも買えなかった人から残念がる声がちらほら聞け、家にはまだ残部がたくさんあるから〜などと抑えたものの、買えなかったことにかなりショックを受けたボラが「嘘だと言ってよシュー!!」と、ブラックソックス事件にショックを受けた少年なみのことを言っていた。
購入した面々からは、おおむね好評な意見が聞けた。(そりゃ、面と向かって不平不満を言う人はおらんだろう)オマケ冊子も予想以上にウケており、作った甲斐があったと悦に入る。それと、パロディやギャグで笑ったというコメントは多くもらったが、言う人言う人によってウケたネタが違っているので、一本のギャグで全員の笑いが取れなくとも、複数本で全員からウケを取る私なりの手法が生かされたようだった。

問題集があっと言う間に売れてカバンは軽くなったものの、予選開始の予定時間を過ぎても、第2回同志社オープンの受付は始まらなかった。しばらくしてようやく集団が動き始め、受付が始まったことを知る。受付では何でも過去にオープン大会の優勝経験があるプレイヤーは赤のサンバイザー、特定のオープンで予選通過経験があるプレイヤーは黄色、それ以外の人は青と、どこかで覚えのある分類がなされた。そういうわけで、例えるならば「クイズヒントでピント」と「クイズ100点満点」で優勝したような経歴ではあるものの、2つのオープンで優勝していた私は赤の方に分類させてもらった。
予選は、昨年の100問からダウンサイジングして50問となったペーパークイズ。解き始めた直後はパニックに陥ってうまく思い出せないのが多かったが、残り5分を切って見直し始めると、気分が落ち着いているせいかすんなり思い出せ、半分以上は確実というデキで終了。ボーダーラインが高そうな気がして、やばいかな〜という予感はあったが、回りも似たような反応だったので一安心。
昼休み、どこかで昼食を取るために校舎を出ると、ちょうど仰木さんに出くわしたので、牛丼屋・なか卯まで連れて行ってもらう。店内は混んでいたため、分かれて座ることになり、私は福本さんと隣同士になる。どちらからともなく去年の第1回のトーナメント1回戦で戦って、私が勝ったことを話題にすると、福本さんは「是非ともリベンジがしたい」と言って来た。ただ、今回はベスト16からがトーナメントなので、福本さんならばともかく、私はとてもではないがそこまで残れるとは考えられなかった。
午後1時過ぎ、予選成績トップ発表で、その福本さんがマンオブに続いて2大会連続となるポールポジションを獲得し、一気にトーナメントに組み込まれた。2Rは早押しボード。予選10位から55位までが3組に振り分けられ、私は2組目に組み込まれた。早押し解答権を得た人のおこぼれを拾っていく形で、私は一度も早押し解答権を取らずに6点を取り5位で勝ち抜け。同じ組にいた春日が早押し解答権を得るたびに「さあ春日さんが解答権を取りました。カンなのでしょうか?知識なのでしょうか?」などと振られ、「カンか知識かカースガ」とヤジられていたのには笑ってしまった。もはや春日=カンプレイヤーの式は定着してしまった。
3Rはボードクイズ。予選2位〜10位と、2Rを勝ち上がった合計30人が挑戦し、上位15人がトーナメントへ進める。単純に言えば倍率は2倍だが、ここまで残ったメンバーでの2倍を勝ち抜くのは至難の業である。問題が上位向けの難問ではなく、今まで問題集ではあまり読む機会が無かったタイプの難しい問題が多く、私個人としては勝ち抜けるチャンスが広がる有利な出題に光明を見る。ワインの銘柄はさっぱり分からなかったのに、「「キリストの涙」という意味がある」という言葉だけで「ラクリマ・クリスティ」を取ったのはかなり大きかった。結果、どうにか4点を取り、見事トーナメントの枠に滑り込む。
トーナメントは勝ち抜け順にABCDのブロックを選択。福本さんはBブロックにいたので、当然Bブロックを選択。ここまで残った16人の中で私が間違いなく一番弱いので、福本さんはともかく私が別ブロックから勝ち上がるなんて事はまず無理だから、「勝負はカプセルで!!」何て事を叫んだところで決勝に行けるわけがない。結果、Bブロックには何とこちらも第1回のトーナメント1回戦で敗れたリベンジを狙っている橋本さんと、その時の勝者であったアスワンさんの4人が揃った。
予選成績順に、トーナメント枠を抽選。まず福本さんは1番。次に橋本さんが3番を引き、雪辱を狙う二人はうまくばらけた。そうなると3人目の私にかかってくるのだが、どうこう考えても始まらないので、50%の確率に賭けたところ、見事2番を引き当てて、4人のリベンジ戦が本当に実現することとなった。
トーナメント1回戦は2連取3連取。開始わずか4問で橋本さんが3連取を果たし、アスワンさんに対しあっさりリベンジを果たす。その間、福本さんはほとんどの問題で押し負けていたが、私にはさっぱり分からない難問揃い。橋本さんが抜けたあとは、今度はAブロックで勝負が白熱し始めたおかげで、福本さんは押しても押しても解答権を取れず、お地蔵さんの私に差を付けられない。もっともそんな状態はいつまでも続かず、ようやっと福本さんが「紫雲丸」を正解して一歩リード。その後も同様の展開が続き、そろそろ中盤戦という辺りで、突如意表を突く出題。それは「〜山口県伝統の焼き物は何?」と結んだので、「えっ、山口県に、萩焼以外の焼き物があるの?」と、今までの難問傾向から押すことが出来なかったが、福本さんが意を決したように解答権を取ってその「萩焼」を正解して二連取。さらに「〜原典を入手することを目的にチベットに入り」と来たので、また「まさか河口慧海じゃ....」と躊躇してしまったが、さっきのこともあったので押しに行くが、福本さんが一瞬早く取り「河口慧海」を正解して三連取。福本さんのリベンジは見事成功した。実力からしても私の負けは見えていたが、何だか情けない負け方であった。同じ負けるにしても、もっとカッコイイ負け方が良かったなぁ。
準決勝は7○3×、決勝は“超”難問早押し&カプセルクイズと、史上最強のクイズ王を意識した設定。決勝は安藤対牟禮の師弟対決となったが、演出においてもクイズにおいても師匠の方が上で、途中同点となって大いに盛り上がったが最後は安藤が突き放して優勝者となった。
大会が終わり、ベスト16に残った人はネームプレートが掲げられたままだったので、舞台の所へ取りに行く。その際、Aブロック代表を賭けて戦った栗田と課長がネームプレートの交換をしていて、サッカーのユニホーム交換を思わせる、滅多に見られないであろう光景を目の当たりに出来た。んで、栗田はよっぽど課長のネームプレートを大事にしたかったらしく、私の旅行用カバンの中に入れて厳重に保管するように頼んでいった。まぁ、自分で持っていることが不安になるのは分かるが....
その後、昨年のマンオブに習って、インターネットに何か載せたいから、同志社オープンについて書きたいことあったら書いて、と頼んで以下の文章をいただいた。

<優勝者:安藤の言葉>
沼田君、ごめんよ、君の方が
ぜったいつよいのにインチキくさく
勝ってスルー連発して、
そして、さよなら池田忍
おめでとうオレ、ありがとう
オレ、最高だったよ、夢をあり
がとう。

<準優勝者:牟禮の言葉>
オツカレ マツェラート
         むれ

<アスワンさんの言葉>
 決勝に残ったのが
安藤で良かったね。
 他の人だったらツンデタ。

<4位:栗田の言葉>
最大の夢が、信じられない結果でかなった。
ただうれしいの一言です。
課長さんと交換してもらったネームプレートはさっそく部屋に
はろーっと。  by.くりた

何だか去年のマンオブと違って、みんなまともなことしか書かねぇ。
飲み会。2階では早稲田勢が弾け飛んだ。とばっちりを食いたくなかったので、静かに飲んでいた1階の方でゆっくりする。終わりにさしかかる辺りで、宿の手配をするためにオツカレ・ニーマイヤー状態の大門に聞くが「ピカピカ光っている状態でのピカチュウの研究をしたいから」という理由でダメ。牟禮は「問題集でボクのこと、3ページに1ページの割合でバカにしてぇ〜」とすねていたので断られた。結局、湯川と忍の二択に絞られたが、まだ行ったことがなかった忍の方を選ぶ。だが、この安易な選択があんな事故に巻き込まれることになるとは。
今出川から京都へ戻り、忍の下宿がある尼崎へ。メンバーは忍、沼田、堀滋、木村俊孝の慶応勢+私の5人。コンパートメントの1つを疲れ切っていた木村が占領し、もう1つの方に4人が座る。私には疲れているように見えた堀に対し、沼田は「吐きそうになったら窓を開けてやれよ」と声をかけていた。私は窓を見て、「この窓、開かない作りやんか」とすぐに認識。沼田は冗談で言っているのだと判断し、何も言わなかったのは失敗であった。しばらくの間、沼田と忍のトークを聞いていた所、新大阪付近で堀が突如異変を訴えた。この瞬間になって初めて堀が危険な状態にあることに気付き、どうにかしなければと考えるが、うまい策が浮かばない。沼田はさっき言った通りのことをさせようと窓を開けようとするが、当然開くはずがなかった。万事休す。マニア垂涎のブツが入ったカバンと共に避難し、忍、沼田も同様に避難し、もう見守るしかなかった。堀がとうとうポロロッカを起こしてしまった....

<一口メモ>
「ポロロッカ」:アマゾン川で/発生する、現地の言葉で「家屋の破壊」という意味がある逆流現象のこと。

その後、新大阪で降りざるを得ない状況となり、トイレに堀を連れて行って介抱すると、こっちは顔をピクピクさせ、はらわたが煮えくり返った状態だというのに、さわやかぁ〜な顔に変わっていた。忍は大人らしく指導者ぶりを発揮し、沼田はしきりに「あいつは最悪だ!!」「もう最悪!!」を連呼し、木村は寝ぼけまなこ。私は、何で事件を起こした当事者がスッキリニコヤカに済ましていられるんだと、やり場のない怒りをどうすることもできなかった。
結局、飲み会後の時間帯で、途中下車した上で尼崎まで行けるはずもなく、大阪駅で降りる羽目に。一人スッキリしているポロロッカ堀に対して顔をひきつらせながらも、1つしか残っていないタクシーという選択肢でえらい出費をすることに。タクシー乗り場へ行くと、運ちゃんらしき人が忍に話し掛けてきたので、二人のやりとりを聞いていた。その会話によると、5人乗りを許すタクシーはないだろうから分乗で1万1千くらいかかるだろうという試算が出たが、1台に5人乗せてもらって、8千円で済ませるという合意に達したようであった。んで、タクシーに乗り込んでみると、料金メーターが点滅しておらず、エントツに乗ったことにようやく気付く。「まぁ、乗る前に料金交渉していたんだから当たり前か、それに忍は慣れてそうだし大丈夫だろう」と危機意識の低い私は安心しきっていた。ギュウギュウ詰められて窮屈だったことは仕方なかったが、何だかんだで無事に目的地に到着。降りてしばらくして、忍は慣れているどころか、今日初めてエントツに乗ったと言い始め、すさまじく危ない橋を渡ってきたことに何とも言えない心境となった。そんな時でもポロロッカ堀は「いや〜、みんな貴重な体験が出来たじゃないですか。」などと言っていた。「二度とゴメンだ!!」
ようやく忍の家に到着。眠いダス、眠いダス、パブロ・寝る〜ダス。でももう時間がないダス。堀が眼鏡がないと騒いでいるダス。いい加減にしてくれダス。


1997/12/21
昨日のどさくさで、堀が眼鏡を電車に忘れてきたため、いろいろな所へ電話をかけて回ったが行方がつかめず。結局、睡眠は全くとれず、オマケに朝御飯も抜くことになる羽目に。これというのも全部ポロロッカのせいだぁ〜。湯川んちを選べば良かった〜なんてのは祇園....じゃなくてあとの祭り。
大阪オープンは散々。ペーパークイズはわけのわからん解答を連発してしまい、37位と今年度最悪の予選順位で、2Rも押し負け・思い出せずの連発で解答権を一度も取れずトンコロ負け。意識も朦朧とした状態で、全部ポロロッカのせいにでもしなけりゃやってられない惨憺たる結果であった。
大阪オープンそのものの結果はといえば、昨日に続いて今日もペーパー1位を取った福本さんが、ポールトゥフィニッシュを決めて、念願であったオープン大会初優勝をモノにした。スタッフの皆さん、オツカレ・ドミンゲス。
で、その福本さんにルートを教えてもらっていたので、大会終了直後に速攻で杉本町駅に向かい、天王寺→大阪→新大阪で、東京行き新幹線のラストである20時43分のひかりに乗り込むことに成功。福本さんに感謝しつつ二日間の関西遠征を終えるのであった。ピッタリ3時間後の23時43分に東京駅到着。で、栗田が早速部屋に貼るはずの課長のネームプレートは私の部屋にあったりするのであった。(後注:後日、栗田にちゃんと返還しました。


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