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えんくり杯体験記

 1997年6月21日、早稲田オープンの開催中止に替わって、栗田修と遠藤誠の2人が「オープン企画」という位置づけとして、早稲田大学で開催した大会です。
司 会:栗田修
問読み:遠藤誠
 開催日当日。電車一本で早稲田に行け、さらに開催される教室まで知っていたため、かなりの余裕を持って私は会場となる教室に入った。教室に入って周りを見ると、「みんなやけに整然と座ってるなぁ〜、ペーパー開始まであと20分以上あるのに。」という、いつもとは違った印象を受けた。しかし司会の栗田が何だか席について紙を受け取るようにせかしている。何をそんなに急いでいるんだろう?と疑問に思いつつ、受け付けを済ませてプログラムを受け取る。席に着くと隣からペーパーの問題を渡される。「あれ?何でもう配ってるの?用意が早いなぁ」と、自分が集合時間に遅刻したことをまだ気付いていなかった。


準々々決勝:紙問答(全員→50人)

 「おっかしいなぁ、1時開始って聞いてたんだけど〜」と、こっちの疑問が解けないままペーパークイズを受けていた。その影響か、「クン夫人」と書くべき所を「コリ夫人」と、クイズプレイヤーならではの誤答をしたり、いくつか思い出せない問題もあり、予選落ちはないにしても、1桁順位は取りたかっただけにちょっと不満の内容だった。
 発表自体は準々決勝でになるが、トップを取ったのは黒巣弘路。実力を反映するタイプの問題が揃っていただけに、順当なところだろう。2位にはベテランの舛舘康隆さん、3位は成長著しい高山慎介と、相対的なプレイヤーが上位に入った。
 ちなみにこの大会の参加者は58人。準々決勝に進めるのは50人。ということは、たった8人が準々々決勝(=予選)落ちというわけで、この8人に入った方はご愁傷様。


一口メモ
クン夫人:ロンドンオリンピック女子陸上において、4種目で金メダルを獲得した選手
コリ夫人:1947年のノーベル生理学医学賞受賞者


準々決勝統一ルール

準々決勝 1:アップダウンクイズ(10人→4人)

 この組は高山慎介、春日誠治の明治勢、深澤岳大、金田浩輔の法政2年生コンビ、未だに都立大学の学生をしている沼屋暁夫が予選上位側として顔を揃えた。5人の対抗馬としては、これからが期待される早稲田の新人・斉藤英司が挙げられる。
 序盤戦はダンゴ状態で、9問目終了時点で深澤・春日・斎藤の+2が最高点。だが10問目で春日が1回目の誤答で見通しが暗くなる。また、金田も5問目でいきなり誤答し、その後は地蔵となってしまい、戦線離脱。
 1回の誤答で振り出しに戻ってしまうルールだけに、全体的に押しが低調。なかなか前に抜け出す人がいなかったが、20問目、「猿飛佐助」から「立川文庫」を正解した深澤が、ようやく+3に到達。このペースと残り問題数を考えると、自滅を除けば深澤の勝利は確定したと言って良かった。その直後の21問目、春日が2回目の誤答でまさかの失格。この時点で深澤に続く+2は高山・斎藤と、ほぼノーマークと言っていい一橋の小林紀俊の3人。問題も残り14問で、特にこれといった見せ場もないままアップダウンは後半戦に入った。

23問目「本名・本目真理子。浅草で歌っているところを益田喜頓に見出され、昭和30年に「ガード下の靴みがき」で歌手/」
沼屋「宮城まり子」

 後半に入ってようやく沼屋が+2とし、続く24問目「ルノード」を慶応の北形綾一が正解し、+2に5人が入る大混戦となる。続く25問目も北形が解答権を取り、一気に勝利を手中に収めるかに見えたが誤答。この終盤での誤答は余りにも痛い。

26問目「アメリカ独立戦争後の1776年から79年まで初代バージニア州知事を務めた人物で、戦前、有能な弁護士として活躍するうちに植民地の人々の代弁者となり、特に17/」
深澤「パトリック・ヘンリー」

深澤が駄目押しの+4。これで勝利は決定的。27問目は北形が正解し、先程の誤答がなければと惜しい状況となる。28問目は問題がほぼ全文読まれ、沼屋が難なく「エリクソン」を正解し、+3で勝利を確定させる。30問目はまたも北形。+2としたが、ペーパー下位であるためにあと一つ取らなければ勝ちは見えてこない。32問目、高山・北形・小林とともに4人いた+2から、斎藤が+3で抜け出して勝利を決める。残った問題は全てスルーとなり、そのまま決着。結果、ペーパー上位の高山が最後の席を手中に収めた。ペーパーの差で敗れた北形は、たった一度の誤答が実に惜しまれる。
 えんくり杯自体の特徴でもあるが、問題の難度が高かったことも関係し、若干見どころに欠けたアップダウンクイズとなった。そんな中で、勝利を決めながら“魅せるクイズ”を信条とする深澤のパトリック・ヘンリーや、新入生ながらも勝負強さを見せた斎藤がこのラウンドを盛り上げた。


一口メモ
「ルノード」:フランス現代新聞の創始者とされ、ゴンクール賞と同じ日に授賞式が行われる文学賞に名を残す人物
「パトリック・ヘンリー」:「われに自由を与えよ、しからずんば死を与えよ」という演説を行った人物
「エリクソン」:アイデンティティという概念の提唱者


準々決勝 2:ボードクイズ(10人→4人)

 ペーパー1位の黒巣、2位の舛舘さんを始めとし、5位の沼田正樹、8位の串戸尚志と、ペーパー1桁が4人も入った。上位5人目となったのは私で、それに松本隆一さんが来て、何と下位4名は47〜50位と、両極端なメンバーが揃った。しかし下位4名も、一橋オープンで準決勝進出した松村憲昌、嶺上杯で準決勝まで駒を進めた松本裕輔君や、東大の新人・塚本丈二という今後に期待大のプレイヤーがいることから勝者予想は難しいところである。
 1問目は「大リーグの通算三塁打最多記録保持者」を答えさせる問題。正解の「サム・クロフォード」を書いた人は当然0。3問目の「ナボコフの小説「ロリータ」の語り手」を答えさせる問題では先程のアップダウンで活躍した深澤が自信満々にガッツポーズを取り、「ジョン・レイ2世」を正解する一幕もあった。そんなこんなで6問目までを消化しても、正解者は全く現れず、たった1問が勝敗を分けることは解答者全員がわかっていた。
 均衡が破れたのは7問目。「日本最大のカブトムシ」を答えさせる問題。最近私は昔のメモを読み返していて、その中にあったので即座に思い出すことができた。結果、正解の「ヤンバルテナガコガネ」は私と舛舘さんの2人が正解。サッカーで点が入ったときのように喜び、両者ガッチリ握手。
 これで正解に火がついたか8問目、「「象牙の塔」という言葉を日本に紹介した人物」で、黒巣、沼田、松村の3名がこの「厨川白村」を正解。
 9問目は正解者無しで10問目。「「新巨人の星」が連載されていた雑誌」を答えさせる問題。解答者はマンガ雑誌を答えていたが、今度は深澤に代わって観客席で自信満々の意志表示をしたラガーが「週刊読売」と意表を突く正解をものの見事に言い当て、会場を湧かす。
 11問目「稲垣足穂の処女作」を答えさせる問題で、「一千一秒物語」を松本隆一さんが単独正解。弥生杯でも今日出海の直木賞作品「天皇の帽子」を単独正解していることから、他の人が知らない文学に詳しいようであった。これで6人が1点で横一線に並び、皆があと1点をどうにかして取りたい状況となった。
 12、13問目は正解者無し。だが常に誰かが正解するのではというプレッシャーがあり、解答者としては早い段階で一歩でも抜け出したい心境であった。14問目「「コーラスライン」に次ぐブロードウェイミュージカル上演回数を記録している作品」で、黒巣と松村の2人が「オー!カルカッタ」を正解して共に2点目を入れ、黒巣は予選順位的に勝ったと言って良く、松村も2点を入れる人が少ないことを考えれば、黒巣ほどではないにしろ圧倒的優位に立った。
 さらに15問目「「用心棒」「東京オリンピック」を撮影した映画撮影者」で、「宮川一夫」を沼田が単独正解。これで2点は3人目。1点は舛舘さん・私・松本隆一さんで、このまま正解者無しで行くとペーパー上位の舛舘さんが勝ってしまうので、私は是が非でもあと1点を取りたかった。
 16問目は正解者無し。17問目「ダリアという花の命名者」を答えさせる問題で、一瞬「分かるわけない」とあきらめかけた直後、クイズにおいて「ダリア」を答えさせる問題で「〜が、アンドレアス・ダールにちなんで....」というフリを思い出し、串戸と共に「カバニレス」を正解。これで待望の2点目を獲得。ようやく勝利が目前に迫り、希望が見えてきた。串戸は同じ正解をしたものの、これでようやく1点目であったため表情は暗かった。
 舛舘さん、串戸、松本隆一さんは、あと1点入れればペーパー上位の利を生かせるが、それをあざ笑うかのように難問が続き、とうとう最後の20問目。「「博覧会」という訳語を考案した人物」を答えさせる問題で、皆が頭を抱える中、黒巣がただ一人笑顔を浮かべてボードに答えを書いていた。この「栗本鋤雲」は黒巣が単独正解で、予選1位の貫禄を堂々見せつけた。
 20問中13問が正解者0と、知る人ぞ知る第4回全日本クイズ選手権に似たような結果となった。トップで抜けたのは3点と“ダントツ”トップの黒巣。次に2点で沼田、私、松村の3人が勝ち抜けた。ペーパー1桁順位の舛舘さん、串戸の2人がまさかの敗退となった。
 ちなみに、17問目で串戸は、私のペンが動き始めたときに「“カバレニス”と書き間違えろ〜」と念力を送っていたそうである。でもその念力が通じるんだったら、問題読みの遠藤の頭の中を読んだ方が確実じゃなかろうか?


準々決勝 3:アタック風サバイバル(10人→4人)

 ペーパー4位の大倉太郎を始め、西田司、松石徹、渋谷裕司、西村友孝、というこれからの世代である2、3年生が上位を占めた。下位グループも、半田茂幸、渡辺徹、飯田暁、矢野了平と、中堅どころが揃った。

2問目「昭和38年に三菱を退社した後も日本航空学会長や防衛大学教授などの任についた航空機設計者で、ドイツのユンカース社やアメリカのカーチス社で機体制作を研究し、昭和7年以降海軍向け戦闘機の/」
西村「堀越二郎」
3問目「娘のウーナは18歳の時に52歳のチャップリンと結婚したことでも知られ/」
西村「ユージン・オニール」

西村が出だしでいきなり2連取し、頭一つ抜け出す。この西村をさらに上回ったのは大倉。4問目に「ヒルファーディング」、6、7問目「サンリオ」「ミシュナ」を2連取して西村を抜いてトップに立つ。その後、16問目までは大倉が恒ににトップとしてリードしていたものの、事実上西村とのマッチレースとなり、2人の勝利は決定し、残る2つの席に誰が入るかということになった。
 大倉、西村が正解を重ねる中で、西田がどうにか前に出たかったが2○2×。このルールでは1×を挽回するのに2○を必要とするため、西田は脱落状態。ここまでに挙げた3人以外に解答権を取っていたのはラガーのみで、たった1○で3位につけていた。

17問目「初代総裁は牧野伸顕。大正13年に大倉喜七郎の肝いりで、当時の棋界にあった方円社と本因坊が統一して結成された団体で/」
渋谷「日本棋院」

 第四の男となったのは渋谷。21問目には松石も初正解でボーダーライン上に3人が並んだ。23問目、「大村益次郎」を渋谷が正解してこれで松石とラガーに貴重な1点差をつける。
 この時点で大倉と西村は3位以下に圧倒的な差をつけ、渋谷は4点、松石・ラガーが3点、以下多数。24、25問目は、もはや勝利は決まっているにも関わらず大倉、西村が順に正解して、正解0のプレイヤーに次々とトドメを刺す。これによって渋谷は2点で自滅しない限り勝利を決め、松石とラガーの2人が1点で崖っぷちに立たされた。26問目はスルーとなり、

27問目「昭和59年11月にTBSの「わくわく動物ランド」のスタッフが、2年間かけて世界で初めて野生で生活する姿をビデオ撮影することに成功し、翌年放送されて日本で大ブームとなった、和名をユビザル/」

解答権を取ったのは松石。この「アイアイ」を正解し、自らの手でラガーを失格にして残っていた席に着いた。松石は弥生杯の連答ポイントアップでも最後の問題を正解して抜けているので、実に勝負強いが、崖っぷちに立つ前に勝てるようになればもっと上位が狙えるだろうに。


一口メモ
「堀越二郎」:戦闘機「零戦」の設計を行った人物
「ユージン・オニール」:1936年のノーベル文学賞を受賞したアメリカの劇作家
「ヒルファーディング」:「金融資本論」の著者
「サンリオ」:「キティちゃん」などのキャラクターグッズ販売を行っているメーカー
「ミシュナ」:ユダヤ教の教典「タルムード」を、「ゲマラ」と共に構成している注釈書
「大村益次郎」:日本初の軍歌とされる「宮さん宮さん」の作曲者でもある幕末の政治家


準々決勝 4:早押しボード(10人→4人)

 ペーパー6位の神野芳治を始め、7位の鈴木雅也、9位の池田忍、10位の丸山淳さんと、ペーパートップ10の4人が入る激戦区となり、15位の新井浩さんを加えた5人が上位となった。下位グループにも志村真幸、舟橋貴之の慶応勢や、一橋期待の駒形哲郎や、早稲田の八十田隆行と、一筋縄では行かない面々が揃った。
 序盤から場はいきなりの荒れ模様。2、5問目を丸山さん、4問目を雅也が誤答し、しかもボード正解は0であるため、展開が前に進まない。

10問目「1910年に相対性理論を画期的業績と認定してアインシュタインを初めてノーベル物理学賞候補に推薦した人物である、自身もその前年にノーベル化学賞を受賞したドイツの/」

そんな低調気味の早押しボードで、会場中が沸き上がったのはこのポイントで解答権を取った駒形。ついに一橋の秘密兵器がベールを脱ぎ、この「オストワルト」を単独正解すると、会場中はスタンディングオベーションを始めるなどして駒形に惜しみない拍手を与えていた。11問終了時で丸山さんと雅也以外の8人は2〜6点で、早押しボードにしては横並び状態。
 中盤戦は、序盤戦に輪をかけてひどい状況となった。早押しポイントは早いのだが、誤答が続発。目を覆う有様だった。12〜17問目の6問中5問がなんと誤答。これではボード正解での得点も挙げることなどできるわけもなく、完全に参加者の空回り状態となった。17問を終了した時点でのトップは八十田で、たったの6点。早押しボードの持ち味が完全に消えてしまった影響が如実に現れていた。
 18問目、ここまで我慢に我慢を重ねていた神野が早押しで初解答権を得て正解。場が荒れている時でも周りに流されない姿勢は見習いたい。神野はこの正解で7点となって八十田を抜きトップに立つ。続く19問目は雅也が早めのポイントで正解したので単独正解を予想したが、何と駒形がそれを阻止。雅也に向けられるべき拍手が単独3位に浮上した駒形に送られ、雅也が気の毒であった。

20問目「父の関口隆吉が山口県令として山形県から転勤した丁度その時に生まれたため、山を二つ重ねた字の/」
神野「新村出」

神野がここに来ての早押し正解ラッシュで10点と完全に他を引き離し、勝利を決める。残り5問で、神野に続くのは6点の八十田、5点の駒形、4点の志村、3点の舟橋。2点以下のプレイヤーでも、早押し正解で逆転は十分に可能であった。が、ここに来ても誤答ラッシュで思うように点が伸びない。自分の点が減るのはかまわないが、他のプレイヤーの勝つチャンスをつみ取るのはいただけなかった。終盤での不用意な誤答は避けるべきはずなのに、これだけ誤答しては後味が悪くなるだけである。
 結果、4度の早押し正解をした神野が16点でダントツのトップ抜けを果たした。2位は7点で八十田で、3位には5点で駒形が入り、会場中から割れんばかりの拍手が送られた。これで駒形は名実共に人気者の地位を固めた。そして4位は4点で、同点で舟橋がいたものの、ペーパー上位で志村が勝ち抜けた。舟橋は誤答ラッシュの早押しボード一番の被害者と言っても良いだろう。
 今回の早押しボードは、完全に誤答の悪印象ばかりが目立った。約半分の12問が早押し誤答。中でも丸山さんの4×はちとひどすぎる。攻めのクイズをすることが悪いと言っているわけではないが、大人数での早押しボードは、誤答してマイナスとなった人が挽回するためにポイントを早める傾向がある。参加人数が10人で、しかも問題数が25問と多ければ、その傾向は顕著に現れやすい。主催側の設定で、誤答のペナルティが−3点だけだったのは軽過ぎであったのは間違いない。だが参加者がルールに甘えてしまっては、主催側は気の毒である。


一口メモ
「オストワルト」:アンモニア酸化法による硝酸の製法を発明し、その製法に名を残す化学者


準々決勝 5:クイズ・イキナリ(10人→4人)

 予選トップは14位の井上幸治と、予選上位が軒並み敬遠したことが分かる。こーぢ、増田秀直の明治勢、日高大介、松尾浩、隅山恵理という慶応勢が上位に揃った。下位グループには待木祐紀、市川尚志という伸び盛りと、予選は不発だった小林崇さんがいる。
 序盤戦、飛び出したのは意外にも下位グループの市川と小林さん。

4問目「アマチュア奇術師としての一面も持っている推理作家で、デビュー作である昭和/」
小林「泡坂妻夫」
5問目「1859年に「ケミカルニュース」を創刊し、以後はその編集も行ったイギリスの物理学者で、ラジオメーターの発明やタリウムの発見などの業績をあげたほか、陰極線の研究をして陰極/」
市川「クルックス」

と、交互に自分の得意ジャンルを正解して、この時点で両者とも+2点で一歩抜け出す。早い段階で2点とした2人を除いて、他は若干苦戦気味。

15問目「革命運動に参加していたときにはサロト・サル/」
増田「ポル・ポト」

増田は一度2点を取ってはいたが一歩後退し、この正解で再びトップに追いつき、16問目も正解して3点で単独トップに立ち、さらに18問目も正解し4点として独走態勢。20問目には小林さんが3点目を入れた段で、そろそろ終了が参加者の頭にちらつき始める。そんな中で問読みの遠藤が「あ〜、問題が....」と切り出したので、本当にもう終わりかと思うと、「....問題がまだあるよ〜」とフェイント。会場の笑いを取る。
 23問目、「丸善石油のCM」から「小川ローザ」をこーぢが正解して2点とする。この時点で4点で増田がトップ、3点で小林さん、2点でこーぢと市川の4人が勝ち抜け席を占め、1点で日高、木伏崇、堀滋、待木の4人までがチャンスを狙う状況下にあった。24問目、ペーパー下位の待木が攻めるが誤答で脱落。その後は上位陣が示し合わせたかの如く解答権を独占。結局、下位陣営は逆転するための解答権を得ることができず、31問目が終わった直後に終了が宣言され、そのまま決着。
 トップは5点で増田。7○2×の成績はなかなかのもの。2位は4○0×で4点の小林さん。3位は共に2点だがペーパー順でこーぢ、4位は市川となった。
 問題数を秘密にするというのは初めての試みだけに、どうなるか予想はできなかったが、終わって見れば常に緊張感を保つことができ、いつも勝負どころという状況を見ることができて良かった。


一口メモ
「泡坂妻夫」:「DL2号機事件」から登場した探偵・亜愛一郎シリーズの作者
「ポル・ポト」:1975年にカンボジア政権を掌握し、国民数百万人を虐殺した首相
「小川ローザ」:丸善石油のCMで、風でスカートがめくれ「オー、モーレツ!」というセリフを言って一世を風靡したモデル


準決勝統一ルール

準決勝 1:ABブロック対決通過(10人→3人)

 抽選により、挑戦者は以下のように振り分けられた。

Aブロック:松石徹、八十田隆行、西村友孝、黒巣弘路、大倉太郎
Bブロック:鈴木舟太、神野芳治、井上幸治、深澤岳大、斉藤英司

 このルールは局面によって他のプレイヤーが敵・味方に分かれる複雑そうなルールだが、実際に見るとそれほど複雑ではない。一度は挑戦してみたいルールだっただけに、私はこっちのコースを選択した。
 1問目は問題を読み切ったところで深澤が解答権を取り正解。最初はBブロックに対してのみの出題となる。ややスローペースで、Aブロックのプレイヤーをやきもきさせたものの、7問目で深澤が+2点として最初の通過クイズ挑戦。その8問目は深澤がポイントを早めて押したが、若干無理をしすぎたか誤答。出題がAブロックに移ると、ポン、ポン、ポン、と、順序よく正解が出て、移ってからわずか4問、12問目で黒巣がAブロックから最初の通過クイズ挑戦。これも深澤同様に誤答で失敗。
 再びBブロックにクイズ出題。この辺りから急に問題の難易度が上がった雰囲気があり、スルーが続出。私、こーぢ、斎藤の3人はほとんど太刀打ちできず、神野も誤答で足踏みしている間に深澤が22問目で+2として2度目の通過クイズ挑戦。23問目は西村が誤答して阻止側が1人減り、

24問目「ナチスの政権獲得後はアメリカに渡って「激怒」「飾り窓の女」などの名作を制作したドイツの映画監督で、当初は古典的な絵画美を特色とする「死滅の谷」「ニーベルンゲン」などの作品/」

解答権を取ったのは深澤。間違いなし!という表情で自信満々に

深澤「フリッツ・ラング!」

と正解し、決勝進出一番乗りとなる。
 再びBブロックにクイズが出題され、こーぢが26問目で早くも2×として苦しくなる。全く相手にならない3人をよそに神野が28問目で初の通過クイズ挑戦。29、30問目はスルーとなるが、この間に「押せるのにぃ〜」という出題があるのはマーフィーの法則並みによくあることである。続く31問目は大倉が阻止し、これによって同時に+2となって通過クイズ挑戦。32問目はスルー。

33問目「昭和29年には寿命学会を結成してその会長となり、成人病研究にいち早く取り組んだ京都府出身の医学者で、明治44年に「アクチノミコーゼについて」他2編の論文によって医学博士となり、91歳で亡くなるまで数々の名誉職を歴任した、昭和5年に東京駅で浜口雄幸が銃で撃たれたとき、当時まだ一般的でなかった輸血治療を行ったことで知られるのは誰?/」

「知られないよ」とか心の中で思った矢先、大倉が解答権を取り、

大倉「塩田広重」

と、私の考えをあっさり打ち砕く正解で、2人目の勝ち抜けとなった。
 Aブロックは回転がやけに早く、36問目で黒巣が2度目の通過クイズ挑戦。37問目はスルーで、38問目は神野が阻止。40問目、私が「竹鶴政孝」でようやく初正解。だがこの正解が、私のラウンド唯一の正解となってしまう....トホホ....その直後の41問目で神野が2度目の通過クイズ挑戦。もうこの辺りからAブロックは黒巣、Bブロックは神野と、2人のどちらかが決勝進出という雰囲気が強くなってきていた。

43問目「ダリル・F・ザナック、ハル・B・ウォリスに次いで3人目のアーヴィング・G・タールバーグ賞/」
西村「セルズニック」

そんな2強に割って入ってきたのは西村だった。44問目はスルーとなり、45問目を正解して初の通過クイズ挑戦。日の出の勢いで3人目の決勝進出となるか。

46問目「柳田国男の影響で民家建築の研究を始めその著書/」
神野「今和次郎」

だが神野の方がさらにその上を行き、あっさりと阻止。返す刀でBブロックのプレイヤーも楽々料理し48問目で3度目の通過クイズ。3問スルーが続き52問目、神野が満を持して解答権を取るが誤答。
 Aブロックに出題が移った直後に黒巣が「遠い声、遠い部屋」を正解して、即座に通過クイズ挑戦に来るかと思いきや、その後何と9問連続でスルー。63問目に西村が「ジャン・ジョレス」を正解してようやく連続スルーを脱するが、再び3問連続スルー。いつの間にか残り問題数を気にしなければならない段となってしまっていた。
 67問目、ここに来て久々のサービス問題とも言える「クーデンホフ・カレルギー」を黒巣が正解し、3度目の通過クイズ挑戦となる。ブロックの出題順番からして、75問消化した場合Aブロック側が不利であるため、ここは何としても正解したかったが誤答。
 Bブロックに移り、神野が通過席に立てば自分の通過が絶望的となるため、黒巣が突如「舟太!お前正解して通過席に来い。それで俺が阻止すれば俺が勝てるから。」と言い始める。私自身も通過席での一発逆転を狙いたかったのだが、そう上手く行くはずもなく、神野が「ガイガー」「寸又峡」を連取して黒巣の勝利をほぼ消し去る4度目の通過席。
 72問目、黒巣が最後まで諦めず阻止。残り3問で、

73問目「唯一ある村の名はアダムズ・タウン。1767年にカー/」
西村「ピトケアン島」

何と西村がここに来て2度目の通過クイズ挑戦。これで黒巣は神野の通過クイズ挑戦に並ぶことができなくなり脱落。神野と西村どちらが勝かという状況となった。74問目はスルー。最後となる75問目は「二十世紀梨」の命名者を答えさせる問題で、問題文を全部読み切っても誰も押さなかったので、私が試しに押す。単純に二十世紀梨の発見者「松戸覚之助」を答えるが当然誤答。まぁ発見者=命名者だったら、誰かがとっくに押していただろう。(正解は「渡瀬寅二郎」)結果、通過クイズ挑戦途中でありながら問題が尽きてしまったため、残った8人の中で正解数8問とトップであった神野が3人目の決勝進出者となった。

<通過クイズの攻防>*スルー・阻止失敗は除く
 8問目 深澤岳大1回目 「中島知久平」    自滅
14問目 黒巣弘路1回目 「佐藤惣之助」    自滅
24問目 深澤岳大2回目 「フリッツ・ラング」 勝ち抜け
31問目 神野芳治1回目 「今村明恒」     大倉阻止・通過
33問目 大倉太郎1回目 「塩田広重」     勝ち抜け
38問目 黒巣弘路2回目 「ラフィン・ノーズ」 神野阻止
43問目 神野芳治2回目 「セルズニック」   西村阻止
46問目 西村友孝1回目 「今和次郎」     神野阻止
52問目 神野芳治3回目 「アブドゥス・サラム」 自滅
68問目 黒巣弘路3回目 「男たちの挽歌」   自滅
72問目 神野芳治4回目 「野村芳太郎」    黒巣阻止
     西村友孝2回目            ラウンド終了


一口メモ
「竹鶴政孝」:ニッカウヰスキーの前身である大日本果汁を創業した人物
「セルズニック」:MGMから独立して映画制作会社を設立し、名作「風と共に去りぬ」を生み出した映画製作者
「今和次郎」:「考現学」という学問の提唱者
「遠い声、遠い部屋」:トルーマン・カポーティの長編第1作
「ジャン・ジョレス」:フランス社会党を結成し、「ユマニテ」を創刊した人物
「クーデンホフ・カレルギー」:母は日本人の青山みつである、雑誌「パン・ヨーロッパ」を創刊した人物
「ガイガー」:α崩壊に関する法則を発見し、ミュラーと共に放射線検出器を発明して名前を残す物理学者
「寸又峡」:昭和43年2月にそこにある温泉「ふじみや旅館」で金嬉老事件が起こった、静岡県の峡谷
「ピトケアン島」:バウンティ号の反乱後にタヒチ島へたどり着いた反乱者が移住した島


準決勝 2:上座通過(10人→3人)

 抽選により、挑戦者は次のように振り分けられた。

Aブロック:1駒形哲郎 2小林崇  3市川尚志 4高山慎介 5沼屋暁夫
Bブロック:1松村憲昌 2志村真幸 3渋谷裕司 4増田秀直 5沼田正樹

1問目「1898年キエフ生まれ。1949年に成立/」
駒形「ゴルダ・メイア」

 抽選で1位の席を取った駒形が1問目から凄まじい押しを決め、いきなり通過クイズ挑戦となる。2問目は志村が誤答。

3問目「その業績はレヴィ・ストロースによって高く評価された、それまでの人類学が書斎の中での文献学に過ぎなかったことに疑問を持ち/」
増田「マリノフスキー」
4問目「ジョン・アダムズ大統領のもとで国務長官を務めた後第4代合衆国最高裁首席判事に任命され、34年間/」
増田「ジョン・マーシャル」

駒形の通過を阻止したのは増田。さらに阻止直後の問題も正解して、4位スタートから早くも1位に着く。その後は渋谷と沼田が中位で席の奪い合いをしてなかなか上に上がれず、

9問目「3億円事件では「切り札」として事件の翌年から捜査に投入され、昭和46年に定年を迎えたにも関わらず警視総監/」
増田「平塚八兵衛」

間隙を縫って増田が正解し、ようやく通過クイズ挑戦となった。10問目はスルーで、11問目に解答権を得るも誤答。直後の12問目を小林さんが正解して通過クイズに。ここでも増田が1×を付けながらも阻止して、順位は落ちながらもBブロックの主導権を握り続ける。一方、Aブロックでは自分のすぐ上の段の人が誤答するタナボタがあるなど、周り順に恵まれてもいるが、コンスタントに正解を重ねる小林さんがかなり有利な状況にあった。
 そろそろ中盤戦にさしかかる当たりで、ようやく沼田が24問目でBブロックのトップに立ち、28問目で「アンドレ・バザン」を正解して初の通過クイズ挑戦。だがこれは小林さんに阻止され、おまけに立場が逆転して小林さんが2度目の通過クイズ挑戦。30問目はスルーとなり、その直後で予想だにしなかったことが起こった。何と31、32問目を連続で増田が誤答してしまい、それまでで75問消化後の判定になれば間違いなく勝てる正解数を叩き出していたにも関わらず、3×となって失格してしまったのだ。逆に通過席にいる小林さんにはチャンスとなったが、34問目に志村が阻止。ホッとしたのもつかの間、直後の35問目に高山が正解して再び通過クイズ。Bブロックは阻止側人数が少ないものの、沼田がこれを阻止してさらに再びBブロックトップに着き、増田失格後のBブロックの主導権を完全に握る形となった。
 40問目に沼田が正解をして、2度目の通過クイズ挑戦に立つ。だがこれはここまで正解0で完全に低迷していた沼屋が阻止。この正解で自信をつけたか、沼屋はAブロックのみでならば3連答を成立させて一気に通過クイズ挑戦へ。これは志村に阻止されるが、この三連答は問題終了後を考えるとかなり大きい。

49問目「日本初の生命保険会社である明治生命の創設者阿部泰蔵を父に持ち/」
小林「水上滝太郎」

前半ほどの勢いは無くなったが、小林さんは誰かが転落後のトップに立つと正解することが多く、勝負強さを感じる。だがこれも沼屋に続いて志村が連続で阻止。この阻止と同時に通過席に立つも誤答で自滅。この時点で、Aブロックは小林さんと沼屋、Bブロックは沼田と志村という、この4人が決勝枠を埋めることが濃厚になっていた。通過クイズ挑戦もおぼつかない他のプレイヤーとしては、どうにかして正解が欲しいところだろう。
 終盤戦にはいると問題が難しくなったが、スルーが目立つ始める。そんな中で正解を重ねるのは沼田ただ一人。3たびの通過クイズは自滅するも、67問目で市川が3×で失格してAブロックが4人に減り、直後の68問目と71問目を正解して再びトップに立ち、

72問目「原作者はノエル・カレフ/」
沼田「死刑台のエレベーター」

見事な原作者押しを決めて4度目の通過クイズ挑戦。73問目はスルーで、

74問目「戦後は日本ビクターの社長にもなった、昭和12年に軍隊を退役後、学習院院長や阿部信行内閣の外務大臣などを務めた人物で、昭和16年に日米間の危機打開のために駐米大使としてアメリカに派遣され、コーデル・ハルと交渉して有名な「ハル・ノート」/」
沼田「野村吉三郎」

これで残り問題数1問というところで、沼田が見事トップで勝ち抜けた。
 最後の問題は志村が誤答。これによって全問題が消化されたので、勝ち抜けた沼田と失格した2人を除く7人の正解数をカウントすることになった。今まで見た感じでは小林さん、沼屋、志村の3人から2人というのはまず間違いないところだろう。この3人のうちで誰がたくさん正解していたというのは、見ていた人には想定しづらいくらい正解数は接近しているはずであった。
 判定の結果、正解数4問で小林さんと沼屋の2人が決勝進出となった。それに続く3問正解したのは志村と高山だった。小林さんはもっと正解している印象があったが、やはり通過クイズに多く挑戦するとインパクトが強くなるのだろう。沼屋はあの時の3連答が効いたようである。志村は通過クイズ阻止が多かったことが印象に残り、高山はいまいち陰に隠れてしまっていたようである。

<通過クイズの攻防>*スルー、阻止失敗は除く
 3問目 駒形哲郎1回目 「マリノフスキー」     増田阻止
11問目 増田秀直1回目 「ベッセマー」       自滅
14問目 小林崇 1回目 「エンコルピウス」     増田阻止
29問目 沼田正樹1回目 「ジャニス・ジョップリン」 小林阻止・通過
34問目 小林崇 2回目 「チャレンジャー教授」   志村阻止
36問目 高山慎介1回目 「カール・デーニッツ」   沼田阻止
43問目 沼田正樹2回目 「軽羹」          沼屋阻止
48問目 沼屋暁夫1回目 「マラカイ」        志村阻止
51問目 小林崇 3回目 「マデイラ島」       志村阻止・通過
53問目 志村真幸1回目 「二見浦」         自滅
66問目 沼田正樹3回目 「ヘレン・パーカースト」  自滅
74問目 沼田正樹4回目 「野村吉三郎」       勝ち抜け


一口メモ
「ゴルダ・メイア」:バンダラナイケ、インディラ・ガンディーに次いで世界で3人目の女性首相となったイスラエル第5代首相
「マリノフスキー」:パプアニューギニアの東に位置するトロブリアンド諸島を調査し、この地に伝わる独特の交易システム「クラ」を発見した文化人類学者
「ジョン・マーシャル」:1835年に彼が亡くなった際、フィラデルフィアの名物リバティ・ベルが鳴らされたが、その時、鐘にヒビが入ってしまったエピソードを持つ
「平塚八兵衛」:吉展ちゃん事件で犯人の小原保に自供させるなど、大事件に多数関わり、「最後の岡っ引き」「落としの八兵衛」の異名を持った刑事
「アンドレ・バザン」:「カイエ・デュ・シネマ」を創刊し、ゴダールやトリュフォーらの批評を載せてヌーベルバーグに多大な影響を与えたことから「ヌーベルバーグの父」と呼ばれる人物
「水上滝太郎」:代表作に「大阪」「大阪の宿」、随筆集「貝殻追放」がある三田派の作家
「死刑台のエレベーター」:ルイ・マル監督の処女作


決勝:えんくりの世界(6人→1人)

挑戦者
大倉太郎(ペーパー 4位、アタック風 1位、AB2位)
沼田正樹(ペーパー 5位、ボードクイズ2位、上座1位)
神野芳治(ペーパー 6位、早押しボード1位、AB3位)
深澤岳大(ペーパー18位、アップダウン1位、AB1位)
沼屋暁夫(ペーパー28位、アップダウン2位、上座3位)
小林崇 (ペーパー42位、イキナリ  2位、上座2位)
 決勝戦は超難問の早押しクイズ。一応途中で+10点になれば優勝となるが、恐らくだれも10点には到達しないだろうというのが大方の予想である。

1問目「弘世助三郎が日本生命を創業する際には株主の募集などをして協力した実業家で、大阪商工会議所会頭をしていた明治36年に第5回内国勧業博覧会の大阪開催誘致に成功し、その会場にエッフェル塔に似せて通天閣を建て、その通天閣の名の由来となったとも/」
沼田「土居通夫」

 先制点を挙げたのは沼田。4問目に深澤が正解して続くが、5問目を誤答して±0に。

8問目「昭和9年から始まった法隆寺の「昭和の大修理」では金堂や五重塔/」
大倉「西岡常一」

今度は大倉が正解して、1点で沼田と並ぶ。12問目には小林さんが誤答をして一歩後退。

15問目「明治20年には現在の東京芸大の前身である東京音楽学校の初代校長に就任し、また明治36年には楽石社を創設して吃音矯正事業に打ち込んだ/」
沼田「伊沢修二」
16問目「1946年からはニューメキシコの砂漠に一人で住み製作を続けたアメリカの女流画家で、フェノロサの影響を受けた画家アーサー・ウェズリー・ダウに東洋美術を教わって以降、西欧美術とは離れた独自の作品を発表し、1917年に写真家アルフレッド・スティーグリッツの画廊/」
深澤「ジョージア・オキーフ」

この正解で沼田が2点目を得て単独トップに立ち、深澤が再び1点とする。

19問目「ヘルタ・ティーレ演じる女学生マヌエラが、ドロテア・ウィーク演じる女教師ベルンブルグに心を寄せるが、校長に厳しく処分されて自殺寸前まで追い込まれ、それに対して女学生達が校長に反旗を翻すという内容の、1931年に作られたレオンティーネ・サガン監督のドイツ映画で、日本でも熱狂的な話題を呼び、そのタイトルは女学生の代名詞にまでなったのは何?/」
深澤「制服の処女」

問題が全文読まれたあとで深澤が解答権を取り2点目。これで沼田に並ぶ。

22問目「明治37年の煙草の専売法案可決後は養豚事業に転身した人物で、明治10年に西南戦争で家を焼かれた際に上京して銀座に呉服店を開業したが、後に煙草の製造に乗り出して「天狗煙草」を販売/」
神野「岩谷松平」

神野がここで初めて解答権を取り、初正解で1点目。この時点で深澤・沼田が2点、大倉・神野が1点、沼屋0、小林さん−1点と、わずかな開きが生じてくる。だがこの決勝ではこのわずかな開きが勝敗を決するのである。

28問目「20世紀初頭には中国で雲崗石窟を発見しこれを世界に広めたことでも知られる、それまで造家学と呼ばれていた学問を建築学と呼ぶよう提唱し、昭和18年には建築界から/」
沼田「伊藤忠太」

難問ばかりの決勝戦では比較的簡単な問題を逃さず沼田がゲット。これで単独トップの3点目。この時点での2点差に焦ったか、32問目に神野が誤答で±0に戻す。

34問目「本名、橘川ちゑ。昭和23年にNHKラジオ「私の見たこと聞いたこと」のレポーターとして放送の世界に入り、昭和29年には電波によるルポルタージュを理由として第2回エッセイスト・クラブ賞を受賞した、著書に「雨の日の手紙」「我ら人間コンサート」などがある評論家で、昭和32年からTBSラジオで始めた番組は現在/」
深澤「秋山ちえ子」

深澤が沼田に再び並ぶ3点目。36問目を大倉が誤答して±0に戻ったことからも、勝負はこの2人に絞られたかに見えた。41問目に神野が誤答した後、思いも寄らないことが起こる。それまでにもスルーは多かったが、中盤に入ってからスルーがさらに続出。会場は完全に沈黙し、問題を読む遠藤の声だけが響く。そんな状況を打破しようとしたのか、深澤が攻めに転じる。だがこうした難問に対して攻めに出ることは一種の賭けともなり、リスクは大きい。深澤にしても当然そのリスクを承知の上だったろうが、観客を楽しませる“魅せるクイズ”を信条にしている深澤としては黙って入られなかったのだろう。結局50問目から63問目までで1○6×という散々な結果となり、−2点まで落ち込んで優勝争いからは完全に脱落。だがこうした姿勢を、私は買いたい。
 66問目で沼屋が初めて解答権を取るが誤答。この時点で沼田3、大倉0、神野・沼屋・小林さん−1、深澤−2と、完全に沼田の独走状態となっていた。勝負も後半戦にさしかかったことから、もはやこの差はひっくり返らないという雰囲気が漂っていた。

72問目「本名は栄次郎。印刷所を経営しながら推理小説を書き、昭和8年雑誌「新青年」に「完全犯罪」を発表して推理小説会に登場した作家で、翌年には代表作である「黒死館殺人/」
神野「小栗虫太郎」
73問目「1万人を1組として1人が100万円の国債を買い、その利息10%を年金として生存者に振り分けるという、日本名を「生存者配当山分け/」
神野「トンチン年金」

ここに来て神野が貴重な二連答。これでマイナスからプラスに転じ、トップの沼田に2点差に迫る。

77問目「音楽演劇学校を卒業後、ネミロビッチ・ダンチェンコに師事しモスクワ芸術座の創設にも参加したロシアの舞台女優で、チェーホフ原作の「かもめ」にアルカージナ役で出演したのがきっかけで1901年にチェーホフと結婚し、彼の「桜の園」のラネーフスカヤ夫人や/」
大倉「オリガ・クニッペル」
78問目「最晩年には音と色彩の結合を目指し、演奏と同時に色彩を投影する色彩ピアノを採用するといった活動をしていたが、この考えが発展しないまま1915年に亡くなったロシアの作曲家で、幼い頃からの神秘的傾向を深めて/」
神野「スクリャービン」
80問目「初めは声楽家志望で三浦環に師事し、明治44年に「釈迦」で初舞台を踏むが、翌年ヨーロッパに渡り、ダルクローズ・リズム学校に東洋人として初めて入学し舞踏家に転向した人物で、その後はハリウッドで舞踏学校を/」
大倉「伊藤道郎」

終盤に向け、大倉・神野の2人が正解を重ねて共に2点とし、沼田に1点差に迫る。だが、反撃もここまで。その後はスルーの連続で、途中で2回、深澤が正解をして観客を沸かせたのみで、全94問を消化。


一口メモ
「西岡常一」:法隆寺の宮大工棟梁として活躍し、「最後の宮大工」と称された人物
「伊沢修二」:1876年にグラハム・ベルの研究所を訪れ、完成したばかりの電話に触れて、日本人として初めて電話を使用した人物の一人となった人物
「ジョージア・オキーフ」:スティーグリッツの画廊「291」で初の個展を開いたことがきっかけで5年後に彼と結婚した女流画家
「伊藤忠太」:建築界初の文化勲章受章者となった、築地本願寺、明治神宮、平安神宮を設計した建築家
「トンチン年金」:元の考案者であるブルボン王朝の財政担当官だったロレンゾ・トンティの名にちなむ年金システム


 よって、優勝は沼田正樹に輝いた。準優勝はペーパー上位である大倉太郎、3位は神野芳治となった。沼田は3○0×と堅いクイズを展開し、中盤以降は1回も押さずじまい。この慎重さが沼田を優勝に導いたようである。大倉と神野は一歩及ばず。それぞれ3○1×、4○2×と、正解数では沼田とほぼ対等であっただけに、紙一重の差が優勝と準優勝という大きな差になって現れた。4位の深澤は、決勝戦の活躍度は間違いなくナンバーワンである。深澤の凄さは成績として残るよりも、観客の心の中に残っていることだろう。

以上でえんくり杯の体験レポートを終わります。


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