目次
スタッフ
対抗戦1問目を取ったのは明治の高山。最初から凄い押しで始まり、その後も目が離せない速攻展開。
3問目「イギリスが発祥地とされ、1938年に最初の競技会が行われた、「屋内用のリンクでもスピードスケートを」ということで始まった、/」
小田「ショートトラック」
4問目「昭和14年に“横浜農林省賞典4歳/」
小田「皐月賞」
一橋の小田が得意のスポーツ問題で一気に連取し、対抗戦最初の得点を一橋にもたらす。2位、3位には高山、串戸と明治勢が入る。
その後の2セットも明治勢が他を圧倒し、2位の一橋に80点の差を付ける。
明 治:110点 一 橋: 30点 法 政: 20点 慶 応: 10点 早稲田: 10点
1問目「「吉展(よしのぶ)ちゃん事件」に名を残す、吉展ちゃんの名字は何?」
こんなの正解者出るかよとか考えながら、制限時間が過ぎて解答者が挙げたボードを確認すると....いた....早稲田の神山が「村越」を単独正解し、9点を獲得。続く2問目「アルド・モロ」を堀と西村が正解して8点。ただ、これ以降はさすがに正解者0問題が続く。正解者が出なかった問題は半分以上の8問。逆に言えば、得点が入った問題は7問しかなかった。そんな難問揃いの中で、4問正解して計29点を獲得した神山が1位となる。
*正解が出た問題の解答。()内はその時に入った得点:「村越(9)」「アルド・モロ(8)」「ミツスイ科(6)」「レザーストッキング物語(8)」「ラーマ9世(9)」「オホス・デル・サラート(7)」「ユベントス(6)」
明 治:+30=140点 一 橋:+60= 90点 早稲田:+50= 60点 法 政:+10= 30点 慶 応: 10点この時点で早稲田と一橋が頭一つ抜け出す。
明 治:+ 50=190点 法 政:+100=130点 一 橋:+ 10=100点 早稲田:+ 30= 90点 慶 応:+ 20= 30点イントロを得意とする法政、明治がワンツーで、明治がさらにリードを広げ、法政が2位に浮上。慶応がここまででわずか30点とかなり低迷。
明 治:+100=290点 早稲田:+ 50=140点 一 橋:+ 30=130点 法 政:−100= 30点 慶 応: 0= 30点明治が2位にダブルスコアをつける。サークル自体の総合力という点で他の大学を2、3歩リードしていることが伺える。
代表戦の先鋒・次鋒・中堅・副将と女の子セットは、 1位100点、2位50点、3位30点、4位20点、5位10点
代表者 慶 応:松石徹 一 橋:戸田賢司 法 政:古谷顕一郎 明 治:佐久間慶 早稲田:八十田隆行ここから代表戦。各大学を代表するプレイヤーの戦いとなるため、難易度も一気に跳ね上がる。
一問目「初代委員長は南梅吉、。大正11(1922)年に京都で設立された、被差別部落民の差別解消のため/」
戸田「水平社」
一橋の戸田さんが先制ポイント。このルールは序盤にできる限りの足場を作って、後半に誤答をしてもびくともしない得点を重ねていくことが重要である。8、9、11問目を松石が取って一歩リード。「メアリー・アン・ニコルズ」で「切り裂きジャック」、「伊庭想太郎(いばそうたろう)」で「星亨」、「団伸次郎」で「大村益次郎」を答えるといった、(テレビでは出題できない)殺人ものを確実に取る戸田さんがそれに続き、佐久間と八十田がそれに続く。
得点は大きいが、その分誤答をした場合のダメージが大きい後半戦。後半は松石と八十田の早慶戦とも言えるほど両者が解答権を取り点を重ねる。16問目以降の15問のうち、早慶が解答権を取ったのは12問ということから、両者の争いが激しかったことがわかる。結果、松石が序盤でのリード、誤答数の少なさから八十田を押さえて勝利を収める。
明 治:+ 30=320点 早稲田:+ 50=190点 一 橋:+ 20=150点 慶 応:+100=130点 法 政:+ 10= 40点松石の勝利で、慶応が4位浮上。法政は単独最下位へ転落。明治の首位は揺るがない。
代表者 慶 応:西田司 一 橋:渋谷裕司 法 政:木伏崇 明 治:春日誠治 早稲田:鈴木亮1問目「インド、ビルマ、ユーゴスラビアは招聘に応じず/」
亮が出会い頭で凄いポイント押しを決め、続く2問目に西田も見事としか言いようがない押しを決める。結局、1セット目は亮が3問正解で木伏を下し、西田が2問正解して春日を下して順調に滑り出す。
2セット目に入っても西田の勢いは衰えず、連続で勝利。また、西田に敗れた春日は渋谷を倒してまず1勝。逆に木伏は連敗となって苦しくなる。
3セット目は全体的に接戦の様相。ここまで連勝していた西田が渋谷と引き分け。春日が亮をかろうじて下す。この時点で優勝争いは西田、春日、亮に絞られた。
4セット目は春日が大爆発。「ガロ」「ソシオロジー」「ラディゲ」といきなり3連取をし、大差で木伏を倒して勝ち点9でトップに立つ。一方、亮が渋谷を倒したことで、5セット目の西田対亮の結果で優勝者が決まることとなる。
西田が勝てば無条件で優勝。亮は春日に負けているため、3点以上で勝てば優勝。引き分けや亮が2点以下で勝った場合は春日の優勝となる。混沌とした優勝争いの一方で、大学を代表しているのに未だ1勝もできない木伏と渋谷の最下位争いも見どころである。
5セット目。通算29問目を渋谷が誤答した後の次の問題。信じられないドラマが待っていた。
30問目「1935年5月13日、イギリス、ドーセットシャーのモートンにある別荘の近くでオートバイを運転中、自転車に乗っていた2人の少年を避けようとして/」
西田が解答権を取り、かなりの自信を持って「アラビアのロレンス」を答える。が、私はここで正解の音を鳴らさず、もう一回解答し直すことを要求。西田は自分の答えにかなり自信を持っていたため、他の答え方が思い浮かばず、結局同じ解答をして誤答となる。
問題文続き「転倒し頭を強打して意識不明になり6日後に亡くなった、第1次大戦でアラブの独立に努力し、デビッド・リーン監督の映画「アラビアのロレンス」として知られたイギリスの考古学者は誰?」
要するに、問題文中に「アラビアのロレンス」とあるために、「トマス・(エドワード・)ロレンス」という答え方でなければ不正解となってしまうのである。(すまん、西田。)と個人的には思うものの、私はこの時、誰がそう答えても同じ判定をしていた。これで西田が気落ちするかと思いきや、「バルフォア宣言」「ビリー・ジーン・キング」を連答し、スコアを2−1にして逆転。あんな誤答の直後でよくあんな押しができるものだと感心してしまった。私はこの時点で西田の優勝を予想していたが、勝負は最後までわからないものである。次鋒戦最後となる35問目。このセット不発で終わっていた亮が最後の最後で正解し、なんと引き分け。これによって春日に勝利が転がり込んだ。ちなみに最下位争いの方は、渋谷が自滅して木伏が1勝を挙げ、法政が意地を見せた。
明 治:+100=420点 早稲田:+ 30=220点 慶 応:+ 50=180点 一 橋:+ 10=160点 法 政:+ 20= 60点明治がさらにリードを広げる。慶応が3位に浮上。
代表者 慶 応:永井荘一郎 一 橋:小田典生 法 政:渡辺徹 明 治:高山慎介 早稲田:森家盛中堅戦ともなると、オープン大会予選通過の常連が顔を揃える。正誤判定をしている私としても、普通のオープン大会より凄い勝負になるのではと、かなり楽しみになってきた。
1問目「1984年のサラエボオリンピックでは70m級ジャンプで/」
小田「バイスフロク」
得意のスポーツ問題を小田が先制。しかしこれは異常すぎるぞと後で聞いてみると、小田は冬季五輪のスキーのメダリストは全て頭に入っているらしいことを聞く。これが本当だとしたら、スポーツのジャンルで小田に勝つのはかなり難しいことだろう。
4問目「父は文芸評論家のレズリー・スティーブン/」
永井「ヴァージニア・ウルフ」
永井がここでまず1点。次の「ヒンデンブルク号」をかなり後になって押してからは、「レオ」「ピーピング・トム」「マーロン・ブランド」といった基本問題を早いポイントで正解して、12問目で早くも5点に到達。アップダウンクイズでのこのペースは尋常ではない。だが、さすがに永井に一方的に取らせるわけには行かないと、小田と森がようやく反撃ののろしを上げ、共に3点とする。だが、この追撃も永井には届かなかった。
18問目「明治26(1893)年、海軍大尉の郡司成忠(しげただ)がこの島を/」
永井「シュムシュ島」
これでとうとうリーチ。先程から気付いていたが、このセットの永井の押しは無駄が少なく、かつ確実に答えが特定できるところで押している。このように慎重で確実性が高いクイズをされては、他のプレイヤーは手を出せない。
19問目「1384年に中風のために亡くなるが、31年後のコンスタンツ公会議で異端者であると宣告され、その遺体はスウィフト川に投げ直されたというイギリスの宗教改革者で/」
解答権を取ったのは永井。今までと変わらぬ口調で「ウィクリフ」を正解。わずか19問でアップダウンを制覇する。この中堅戦は永井の完勝であった。
明 治:+ 20=440点 慶 応:+100=280点 早稲田:+ 30=250点 一 橋:+ 50=210点 法 政:+ 10= 70点慶應が代表戦2勝目を挙げ、とうとう2位に。果たして明治に追いつけるのか?
代表者 慶 応:隅山恵理 一 橋:智野潤子 法 政:針ヶ谷千春 明 治:野沢聡子 早稲田:青山瑞幾五大対抗戦恒例の女の子セット。激しい女の戦いがこれから始まるというところで、各自に5個の風船が配られた。得点が減るたびにこの風船が割られ、風船が無くなるのは失格を意味する。
明 治:+ 10=450点 一 橋:+100=310点 慶 応:+ 20=300点 早稲田:+ 30=280点 法 政:+ 50=120点智野さんの活躍で一橋が2位に。明治がここに来て足踏み状態。早くも法政の優勝が無くなりました。
代表者 慶 応:神野芳治 一 橋:村上浩一 法 政:深澤岳大 明 治:西岡能範 早稲田:遠藤誠通過クイズというものは、力の差がありすぎるとあっと言う間に終わってしまうが、力が接近し、なおかつそれがハイレベルなものであると、すさまじい激戦を生む。ウルトラでもそれはたびたび見られたが、この場所でもその激戦が展開された。
11問目「その実験が行われたクリーブランドでは機械に振動を与えないように全ての交/」
深澤「マイケルソン・モーリーの実験」
と、単調な展開を打破する押しで、深澤が最初の通過席に立つ。
12問目「第1回芥川賞・直木賞の選考委員を務めていた長野県生まれの小説家で、小学校の校長をしていた父が失火から校舎・御真/」
通過席の問題。まさかという所で解答権を取る者がいた。「逆通過」というルールがある以上、無茶な押しは自分の首を絞めるだけであるから、絶対の自信があるはずである。私が持っていた問題用紙から目を離して解答者を見たとき、神野の顔には自信がみなぎっていた。
神野「久米正雄」
たった一問で深澤の通過席を阻止。これが発火点となったのか、早押し合戦はヒートアップ。
16問目「ラテン語で“鍵がかけられる部屋”/」
遠藤「コンクラーベ」
会場中が蒼然となったこの押しで遠藤が2人目の通過席。だが....
17問目「原題は「フランスの13日」/」
西岡「白い恋人たち」
遠藤に勝るとも劣らない、前振りのみの素晴らしい押しで西岡が見事阻止。西岡は20問目に「シモーヌ・シニョレ」を正解して3人目の通過席。
21問目「友人のマソンとレイモンと共に海岸でアラビア人達といざこざを起こし/」
神野「ムルソー」
今度は神野が2度目の通過阻止。これだけでカミュの「異邦人」のストーリーであることを推測するとは、脱帽ものである。この通過阻止と同時に、神野が4人目の通過席へ。
22問目「当時の日本の法律では外国人が土地を所有することができなかったが、日本人の妻の名義で六甲山麓に広大な土/」
遠藤「グルーム」
と、これも阻止される。
23問目「雷鳥などの天然記念物の保存事業や、ハブの天敵マングースを沖縄に移殖させる/」
村上「渡瀬庄三郎」
ここで村上が5人目、つまりこの時点で全員が1回ずつ通過席に立ったことになった。
24問目「エカテリーナ2世の生地でもある都市で、1970年と80年には大規模なゼネストが起こり、“ストはここに学べ”と言われるほど労働運動が盛んである、かつてチャーチルは“ここからトリエステまで/」
深澤「シュテッティン」
深澤が最後のポイント部となる「鉄のカーテン」が来る前に正解して阻止。続く「ウェスチングハウス」も正解して、2度目の通過席とする。
26問目「有名な作曲家・團伊玖磨と山田耕作の2人から名前を/」
この問題で、一瞬深澤が押すのを躊躇。だがその一瞬を見逃さず神野が捕らえ、「弾厚作」を正解。後で聞くと深澤も同じ答えを導き出していたが、誤答した場合を考えて一瞬戸惑ったそうである。この話をしていたときの深澤の無念さは計りがたいものがあった。ただ、この通過クイズ中に落ち込むわけには行かない。直後の問題を神野が正解して2度目の通過席。
28問目「昭和38年2月28日、名古屋高裁での再審で小林登一(といち)裁判長により/」
深澤「吉田石松!」
今度は深澤の会心の押しが炸裂。何で裁判長だけでわかるんだ?とか聞きたくなる押しであった。深澤はスルーを挟んで30問目を正解し、3度目の通過席となる。
31問目「少年時代から冒険好きで、20才でパリに旅行し/」
遠藤「ウィンパー」
先程の「コンクラーベ」同様、再び会場中を蒼然とさせる遠藤の解答。「パリに旅行する人なんてたくさんいるだろぉ〜」と、深澤が天を仰ぐように言う。
しかしこの時点ですでに深澤は3度の通過席に立っていることと、残り問題数が20問を切ったことから、普通に行けば勝利は間違いなかった。そして会場中がすでに、深澤の勝利を見込んでいた。そんな雰囲気で、深澤自身におごりのようなものが生じてしまったのだろう。何と33、35問目に誤答し、ここにきて−2としてしまう。逆通過は失格も同然であることから、今まで凄い押しをしていた深澤の動きが無くなってしまう。実際残り15問、深澤は1度も解答権を取らなかった。それまでの35問で10回解答権を取った者がである。
このチャンスを神野が見逃すはずもなく、誤答も多かったがほぼ解答権を独占し、42問目に3度目の通過席とし、回数の上で深澤に追いつく。
43問目「即位当時の名前はジャマイカの社会運動の名のもとにもなっている、1930年に即位し/」
遠藤「ハイレ・セラシエ」
遠藤3度目の阻止と共に、2度目の通過席。
44問目「昭和39、40年と2年連続で首位打者となり、中日の主力選手として活躍するも昭和44年に当時の水原茂監督との不仲が原因でロッテへ移籍し/」
村上「江藤慎一」
村上も勝負を諦めてはいない。遠藤同様に通過阻止と共に2度目の通過席。だが勝負を焦ったか、45問目を誤答して自滅。これで勝負の大半が決したようだったが、ここで私見を一つ。
46問目「俳優として初めてサーの称号を受けた/」
西岡「ブラム・ストーカー」
勝負に一歩遅れた西岡。ほぼ勝負の大半が決まった状態で、何気ない押しに見えたため、会場の反応は余り無かった。だが、問題の全文章を持っている私には、これが桁外れの先読みであることがわかり、西岡が少しも他のプレイヤーと劣っていないことがとれた。この押しの凄さを理解できる人は少ないかもしれないが、私はこのセットで凄かった押しを3つ挙げろと言われたら、間違いなくこれを入れるだろう。(ちなみにあと2つは「吉田石松」と「ウィンパー」)
結局、村上の誤答以後は通過席に立つ者が無いまま規定の50問を消化。まず5位西岡が決定。それに続いてサドンデス。3位決定戦となる村上対遠藤戦は、1問目を遠藤が誤答。優勝決定戦は深澤が誤答。結局、得点で上回っていた者がそのまま勝利。誰だ?この変なサドンデスルール考えた奴は。
という訳で、深澤が9割方手中にしていた勝利を落としてしまい、それをチャンスと見て果敢に攻めた神野が拾い上げた。私はここでの名勝負を“正誤判定”という特等席で見られただけで、五大対抗をやってよかったと大満足で、問題数を100問ぐらい用意しなかったのが悔やまれるほどだった。
明 治:+ 10=460点 慶 応:+100=400点 一 橋:+ 30=340点 早稲田:+ 20=300点 法 政:+ 50=170点慶應が代表戦3勝目。再び2位に浮上し、しかも明治は射程圏内。
これまでの代表戦の倍の得点が入る。優勝は4位の早稲田まで可能ではあるが、実質的に明治、慶応、一橋に絞られたと言って良いだろう。
代表者 慶 応:沼田正樹 一 橋:金谷竜太郎 法 政:黒巣弘路 明 治:串戸尚史 早稲田:大倉太郎各大学最強のプレイヤーが揃った。大将戦のルールは7問先取と単調なもの。ただ、問題の難易度が今までの代表戦とは桁が違うことを最初に知らせておいた。この大将戦に用意した問題は選りすぐりの超難問で、並のプレイヤーではボードで出題されても7問正解はおぼつかないといった趣旨である。また普通、7問先取のルールで誤答の2休は致命傷にもなりかねないが、この超難問早押しでは気分転換のための休みに取る方が楽であろう。
1問目「世界初の心臓移植手術でルイス・ワシュカンスキーに心臓を/」
解答権を取ったのは黒巣。「デニス・ダルファル」と答えるが、私は何のためらいもなく誤答の音を鳴らす。その直後に飯田が「そんな簡単なのは出ません」とつっこみを入れ、難易度の高さをそれとなく知らせる。
問題文続き「提供したのはデニス・ダルファー(ダーバリ)、では日本初の心臓移植手術で宮崎信夫に心臓を提供したのは誰?」
答「山口義政」
63問の問題で、7度正解判定を下される者が現れるのか?という議論が先日スタッフ間で行われていた。何人かがもしかしたら出ないのではと危惧していたが、私は間違いなく一人は7点に到達すると信じていた。それくらい今のクイズプレイヤーのレベルが上がっていると考えていたからである。
2問目「設立した当時新聞に「確実と近代性を誇る日本唯一の株式会社」と広告を出して話題になったという、昭和23年にドッジラインの金詰まりに乗じて東大生山崎晃嗣(あきつぐ)が設/」
串戸「光クラブ」
先制ポイントを上げたのは串戸。明治大学優勝を果たせるか、それとも他大学が逆転優勝するのか。
超難問早押しは得点がなかなか入らないだけに、数少ないチャンスを生かせるかがポイントである。2問目の串戸の正解後、8問もの間誤答とスルーが続く。
11問目、黒巣が「事故のてんまつ」から「臼井吉見」をひねり出して2人目の得点者となる。
その後もしばらくスルーと誤答の山が続くが、17問目、クラウディア・カルディナーレの出身国「チュニス」を、沼田が自信満々で正解してから、にわかに正解する機会が増えてきた。18問目に串戸が「ジャージー・ジョー・ウォルコット」、21問目に沼田が「カール・シュランツ」を正解して共に2点として一歩抜け出す。
25問目、ここまで不発に終わっていた大倉が「野沢那智」を正解して待望の1点目。そして27問目。
27問目「日本に留学し学んだ経験を持つトルコの地震研究家で/」
大倉「サンジャクリ」
大倉の見事な1点読みで正解し、スタッフや観客を驚かせ、沼田と串戸に追いつく。
31問目「原作はウラジミール・アルセーニエフ。地誌調査のためにウスリー地方/」
沼田「デルス・ウザーラ」
決勝において比較的簡単な問題を、ウスリー地方という確実なところまで読ませてから解答して沼田が3点目。沼田の実力からすれば「アルセーニエフ」の時点で押したはずだろうが、数少ない得点チャンスを大事にするという考えが容易に想像できた。
串戸が36問目に「ラドガ湖」を正解して3点目としトップタイ。黒巣が40問目に「小野喬」を正解して2点目。再び接戦になりつつあったところで....
42問目「イギリスに渡った時にニュートンに会い、彼の学説を自分の国に初めて紹介した18世紀オランダの科学者で、多くの実験装置を考案し、なかでも自分の務める大学名を冠した/」
沼田「ミュッセンブルク」
43問目「本名宮崎あきこ、九州の炭坑王伊藤伝右衛門と結婚した際には、その美貌と巨額の富から「筑紫の女王」/」
沼田「柳原白蓮」
と、沼田が連答を決め、一気に5点として他を引き離す。それと同時に、沼田の勝利、慶応の優勝が濃厚となった。
44問目「1950年9月22日、二人で駆け落ちするための金欲しさに職員の給与/」
さらに攻め手を緩めぬ沼田が解答権を取る。これでリーチをかけるかと注目が集まる中、「オー、ミステイク」と解答するが、惜しくも誤答。本当に「オー、ミステイク」だった。そのオーミステイクを発した犯人「山際啓之」が正解。しかし沼田優位は変わらない。その沼田の休みの間に....
46問目「1976年3月23日、児玉誉士夫(よしお)がロッキード事件に関して秘密代理人の役割を果たしていたことに腹を立て、“七生報国”/」
串戸「前野光保!」
と、串戸が4点目を入れて差を詰める。これで総合優勝は慶応と明治に絞られた。
47問目「兄の陳重(のぶしげ),その息子の重遠(しげとう)も法学者としても知られる人物で、明治天皇の大葬の礼に参列した際に風邪をこじらせたことが原因で死亡したという、明治憲法下で天皇絶対の立場から国体擁護論を唱えた、「民法出デテ忠孝/」
沼田「穂積八束!」
串戸が1点差とした直後、休みが解けた沼田が再び点差を広げると共にリーチをかける。この終盤での2点差は決定的な点差である。誤答とスルーを挟み、運命の52問目に。
52問目「松岡錠司監督の映画で、俳優の浅野忠信,筒井道隆,高岡早紀が共にスクリーンデビューを果たした作品といえば何?」
問題を読み切った瞬間、読み終わるのを待っていたかのように沼田が解答権を取る。沼田は冷静に「バタアシ金魚」と解答。私は、自分が期待していた解答と一致したのを確認し、正解の音を何度も鳴らした。その大将戦の決着をつける音を聞くと共に沼田は軽くガッツポーズを取り、慶応に歓喜の声が挙がる。それとは対照的にガックリとうなだれる串戸も印象的であった。
その後、大倉と黒巣が同点であったため、サドンデスを行う。
53問目「1957年1月30日、群馬県相馬ヶ原米軍演習所で/」
大倉「ジラード」
「サンジャクリ」の時同様、知っている事象に関してはすさまじい押しをする大倉が黒巣を倒して3位に入る。
慶 応:+200=600点 明 治:+100=560点 一 橋:+ 20=360点 早稲田:+ 60=360点 法 政:+ 40=210点一橋と早稲田が同点。栗田が亮を、飯田が渋谷を連れてきて、この2人に3位決定戦をやらせようと提案。ということで、急遽3位決定戦で大将戦の残り10問を出題したが、全部スルーにして会場を盛り下げる。結局ジャンケンで渋谷が勝ち、一橋が3位となった。こんな決め方で良かったのか?
慶応が代表戦で4勝。序盤のラウンドは不調だったが、代表がそれを挽回する働きをしたことが優勝の一番の理由だろう。一方の明治は総力戦でならば圧倒的な強さを誇っていたが、代表戦で思うように点を入れられなかったのが悔やまれる準優勝だった。一橋と早稲田は美味しいところを全部慶応と明治に持って行かれた感がある。最後に法政。サークル総合力が低く、代表戦も不発と、ほとんどいいところが無く、最下位もしょうがないといった辛口評価。
以上、五大対抗戦の報告を終わります。
訂正: 大将戦において、沼田正樹が「オー、ミステイク」と解答して誤答と記述しましたが、 これは私の記憶違いで、本当は「高橋お伝」と沼田は解答していました。 ここで訂正をさせていただきます。私の方が「オー、ミステイク」でした。
一口メモ
「高橋お伝」:日本で最後の斬首刑執行者。