スタッフ 新井浩 豊田治 丸山淳 石塚領史 資料提供:丸山淳
一口メモ
1問目「昭和6年生まれで、「鬼のように稼いで、女性を見たら慈悲もなく、/」
脇屋「団鬼六」
1問目を取ったのは脇屋さん。しかも引いたカードは「A」で、ブラックジャックのルール通り、エースは1か11を選べるのでいきなり優位に立つ。
その後しばらくは誤答とスルーで正解が出なかったが、6問目に「ダシール・ハメット」、7問目に「ライオンズクラブ」と2連取した舛舘さんが合計を15として勝ち抜け目前とする。さらに勢いに乗って8問目も解答権を取るがこれは誤答。だが2休明けで復帰した直後の11問目に「ジーン・セバーグ」を正解し、カードも味方して合計が20となり最初の4R進出者となった。
舛舘さんが抜けた直後、神野と脇屋さんが順に誤答し、早押しに参加する人が少ない状態で志村が「ムガール帝国」「Vサイン」を2連取。カード合計も12としてチャンスとなるが、先程の舛舘さん同様に3連取を狙いに行ったところを誤答。
今度は、自分が休みの間に志村に稼がれた神野が攻めに出る。それまでで8を持っていたが、17問目にまず「大江季雄」を正解して14とし、18問目の「ゴルディオス」で2連取とし、ここで7を引き、ブラックジャックで2人目の勝者となった。
さらに次に出てきたのは田島さん。20問目の「アレルギー」、21問目の「バチスカーフ」と、見事な2連取を決めるが、ここでの合計はたったの7。それ以前にも1枚持っていたが、その札も2と低い数字で、3○で合計が9と、カード運が無い。
問題数が残り10問を切ったことで、そろそろ判定時の得点を気にしなければならなくなってきたが、カード合計が12と微妙な位置にいた志村が25問目に「ドーガン」から「ホットドッグ」を正解。ここでドボンとなれば勝ち抜けは絶望的だが、引いたカードは6で、合計を18として3人目の勝者となった。
終盤戦は思うように点が伸びず、あと1問の時点で脇屋さんが11点でトップ。最後の問題だけに、脇屋さんは誤答しても勝てるという、非常にクイズをしづらい状況となるが、そうしたことは気にせず押しに行き、「景徳鎮」を正解して合計をさらに16として、判定で勝ち抜けた。
一口メモ
1問目「ニューヨークの彫刻家ジェス・クーンと結婚式をした際に、それに立ち会ったシルヌイ牧師に言われたため、その日を最後に引退をしたというイタリアのポルノ女優で、/」
木下「チッチョリーナ」
吉屋との一騎打ちは木下が勝った。勢いに乗って2連取するかと思ったが、入れ替わった曽根さんが2問目の「西村京太郎」を正解。そして同様のケースで曽根さんは木村俊孝さんに正解され、意外と2連取が難しいことを教えられる。その曽根さんから正解を挙げた木村さんは、4問目は相手の誤答に助けられ、5問目はスルーになる直前に解答権を取り「是はうまい」を正解して、4番グリッドという中位置が有利に働いたか、トップでこのラウンドを抜ける。
7問目、2度目の対決となる木下対吉屋。今度は吉屋が正解してチャンスを得る。8問目は曽根さんと吉屋という、両者リーチの対決。ここでは地力に勝る吉屋が「ピンクパンサー」を正解して、順当に2抜けを果たした。
9、10問目は下位グループに回ったが、数少ないチャンスをスルーと誤答で生かせず、再び上位グループにチャンスを渡してしまう。11問目、これで3巡目となり、2度目の対決となる木下対曽根さん。両者リーチの対決はここでも曽根さんは踏み台にされてしまい、「沖鳥島」を正解した木下が3抜けを決める。
残る席はあと一つとなり、誰が抜けるかということが焦点となったが、この後しばらくはスルーと誤答の嵐でラウンド自体が完全に間延び。やや見どころに欠ける勝負となってしまったのは残念であった。そんなマンネリ化していた状況を打破したのはやはり曽根さんだった。もうかなりの回数早押し席に着いていたが、17問目にしてようやく2回目の正解を出し、会場から「さすが、汚れクイズプレイヤー!!」とヤジられながらも最後の席に着いた。
一口メモ
32問目「国際テニス連盟では1982年から採用されている、試合が長時間になるの/」
光山「タイブレーク」
サドンデスの問題は偶然にも「時間」に関わるもの。光山さんが早い段階で解答権を取り、ひねりにひねって解答を導き出し、日高を下してラスト抜けを決めた。やはりというか、若手2人はここぞという勝負どころでの戦い方がまだまだ未熟だという感じであった。
それと、タイムレース中は通常、問題を全文読んだりしないので、最後にまとめて発表するのだが、読み手の新井浩さんが行った問題&正解発表は圧巻であった。
3問目「昭和56年には王貞治に次いで2人目の台湾国民栄誉賞を受賞した女性歌手で、昭和46年には「雨の御堂筋」で日本/」
岡村「欧陽非非」
さすが岡村さん、懐メロには圧倒的な強さを発揮。岡村さんが「竜哲也」を指定したことで、遠方の同志社から来ていた関輝当さんのカードが残り1枚となる。続く4問目は、サティが「伊藤野枝」を、普通のオープンでも遜色無い押しで正解を挙げる。そしてここで指定した「狩人」は何と沼屋が持っており、見事な復讐を果たした。
さらに5問目は大川修司さんが正解し、指定した「松村和子」で沼屋が不幸にも2問連続で的中されてしまい、いきなり失格となった。まっ、日頃の行いが悪いからこういうことになったのだろう。
6問目は萩原さんが誤答をしてしまい「あみん」をオープン。次に萩原さん以外の人が正解すると、萩原さんのカードが1枚減るのは確実だった。そしてその正解をしたのは何とサティ。意外なと言っては失礼かも知れないがここでサティは沼屋に続き、萩原さんをも窮地に追い込んだことになった。
さらにサティは9問目を正解し、指定した「久保田早紀」は見事関さんに的中。関さんが2人目の敗者となった。
10問目、一番敗者に近い萩原さんが正解をするが、指定した「小林明子」は、このラウンド初の空砲。どこまでもツイてない。さらに11問目は「アフリカ人初のノーベル文学賞」と完全にキーワードが出ていたのに、「ショインカ」を思い出せずに誤答。残り1枚の「B.B.クイーンズ」をオープンし、4人対1人のきつい勝負を強いられることになった。そして13問目、岡村さんが正解をし、萩原さんに引導を渡した。
このラウンドには特に順位付けがなかったので、正解数をチェックしてみると、何と3○1×のサティがトップ。美味しいところを押さえた岡村さんが2○。1○でも沼屋を失格にする殊勲をあげた大川さん。そして何と0○0×で、勝負には全く関わらなかった平田了君が勝ち抜け。この辺りは「運も実力のうち」であろう。沼屋は実力が9あっても、運が−10だったようだし。
一口メモ
1問目「現在は参議院議員である母親の貞子の第二秘書を務めている、かつて「東京少年」というバンドのヴォーカルとして活動した人物で、レズビアンである/」
大村「笹野みちる」
先制したのは大村さん。序盤戦は接戦の展開が予想されたが、早くも勝負の転機が訪れる。
2問目「兄のヤコブ、弟のヨハン、そしてヨハンの子ダニエルの3人がいずれも数学・物理学の分野で功績を残し、/」
春日「ベルヌーイ」
3問目「初めは「杏の実」という題名が付けられていたが、作者の敬愛する太宰治の勧めで、現在のタイトルになったという、五輪選手の阪本の/」
春日「オリンポスの果実」
4問目「会員制ヘルスクラブ「マホロバクラブ」の社長も務め、また神奈川県大和市の田園都市厚生病院の院長でもある、大ベストセラー/」
春日「春山茂雄」
何と、宮澤君や大村さんといった強豪を押しのけ、春日があっという間の三連取を決めてわずか4問でトップ抜けを果たした。
中盤戦は宮澤君、大村さん、山本さんの3人が激しく入れ替わる好勝負を続けるも、大村さんが7問目でまず1点目を入れ、若干入れ替わりの治まった13問目で2点目、そしてそのままトップが入れ替わることなく16問目に3点目を入れ、宮澤君と山本さんに点を与えないまま見事な2位抜けをした。
大村さんが抜けたことによって、席次を上げることなくトップの席に着いたのは宮澤君。直後の17問目を正解して1点を入れる。その後は山本さんと宮澤君が何度か順位を入れ替え、終了が間近となった24問目にして山本さんが待望の1点を入れ、残る勝者枠2つがほぼ決定的となった。
残り問題数からほぼ勝利は決定しているのだが、参加者は問題数が分からないので真剣そのもの。宮澤君が27問目に2点目、29問目に3点目を入れ、山本さんとの勝負に蹴りを付けて3人目で勝ち抜けた。
残る席は1つとなったが、最後の問題はスルー。得点を持っていた山本さんが最後の席に着いた。
あれだけ激しい順位争いをしたにも関わらず、勝ち抜けた4人は誰一人として誤答をしておらず、大変な好勝負を見せてもらえた。それにしても、このラウンドは上位4人だけでしか戦っていないようであった。
一口メモ
1問目「警察で容疑を否認し続けたが、好きだった「山男の歌」を歌って聞かせると涙を流して全面自供した人物で、昭和51年1月22日に死刑となった、昭和46年に白のマツダのロータリークーペに乗り、/」
岩村「大久保清」
まず先制したのは岩村さん。続く2問目も解答権を得て、早くも通過席かとドキッとさせられたが誤答。3問目は西田、4問目は鷹羽さん、5問目は中さんが正解して、早くも4人が通過席にリーチをかけ、私は内心穏やかでは無くなっていた。
そして6問目に「陪審制度」を正解した岩村さんが最初の通過クイズ挑戦。完全に浮き足立っていた私には、7問目は訳が分からないうちに問題が読まれ、訳が分からないうちに岩村さんが解答権を取り、訳が分からないうちに誤答して岩村さんが普通の席に戻ってきていたような感覚であった。
そんな状況で8問目、頭の中では正解の「金栗四三」を考えているのに、なぜか「ラザロ」と答えて誤答。ただ、私にとって幸運だったのは、誤答がマイナスポイントではなく、休みであったことだった。2休の間に、とりあえず気分を落ち着けることができた。
そして落ち着けた直後の11問目、「フランソワーズ・モレシャン」を正解した岩村さんが、早くも2度目の通過席に立ってしまい、流れをどうにかしなければという局面に立たされた。ここで流れを変えたのは西田だった。「海潮音」を正解して岩村さんを阻止し、それと同時に通過クイズ挑戦。
13問目「1852年に1号店が開店。その20年後に改装された際、そのクリスタルホールの設計をエッフェルが担当したという/」
西田「ボン・マルシェ」
阻止する暇を与えさせないまま、西田がトップ抜け。正直、このラウンドでの西田の正解には目を見張るものがあり、もはや西田は科学だけのプレイヤーではなくなったという印象を受けていた。逆に言えば、科学という強力な武器を持つ強豪になったと言えた。もっとも、強豪が増えることは、私にとっては嬉しく、歓迎すべきことである。
西田が抜けた直後の14問目は岩村さんが誤答。波を支配していたプレイヤーが2休となったことでチャンスと見たが、これを生かしたのは鷹羽さんだった。15問目に「アリアドネ」を正解し、岩村さんが休みの間に通過クイズ挑戦。
16問目「40世紀のイース帝国の男女が乗ったタイムヨットが事故を起こし、196×年の西ドイツに墜落し、そこにいた日本人の男性とドイツ人の女性を連れ去るという発端から始まる、昭和32年から34年まで雑誌「奇譚クラブ」に連載された沼正三の小説は何?」
「奇譚クラブ」で、あれでは無かろうか?という直感が湧いたもののすぐには動けず。問題が読み終わった直後に押し合いになったが、押し勝ったのは鷹羽さんだった。
鷹羽「家畜人ヤプー」
この段階で早くも2人が抜けたことは痛いとその時は感じた。ちなみに鷹羽さんが抜けた後、「奥さん、あの人、「家畜人」なんて答えてますよ」と、スタッフは鷹羽夫人に変なことを吹き込んでいた。
残る席があと2つの上、あと一つには岩村さんがまず間違いなく入るだろうと考え、見通しはかなり暗くなっていた。それに、このペースで木村さんや中さんを抑えて勝ち抜けることができるかと、自分に自信が持てなくなっていた。そんなマイナス思考では解答権など取れるはずもなく、17問目は木村さんに、18問目は中さんに押し負ける。だが、この押し負けのおかげで状況は好転。両方共誤答で、解答者が一時的に三人まで減ったのである。この得点チャンスを生かせなければ、勝つ見込みは無かろうと、確実に点を拾っていくことに努めることにする。
19問目「日比谷公会堂を含めた東京市政会館などを匿名で寄付したという、現在の富士銀行の創設者である実業家で、大正10年9月28日に大磯の別邸/」
舟太「安田善次郎」
20問目「1668年にシャンパーニュ州の寺院の酒庫係として従事していたベネディクト派の盲人の僧侶で、1682年にシャンパンをコルク栓/」
舟太「ドン・ペリニヨン」
19問目に初正解をし、さらに勢いに乗って20問目も連取。やっと初の通過クイズ挑戦にこぎつけた。
21問目、何を答えて良いのか分からないうちに中さんが「ジャスコ」をあっさり正解して阻止。さらに通過クイズ挑戦となって立場が一転。この段階で中さんに抜けられてしまえば、残る1つの席は岩村さんが間違いなく取るだろうから、是が非でも阻止したかった。が、その意気込みは見事に空回りし、見当違いの誤答で2休。さらに23問目は鷹羽夫人が初めて解答権を取り、「坂上(さかがみ)みき」と答えた瞬間に正解の音が鳴ったので「よかった〜」と胸をなで下ろすが、「坂上(さかじょう)」が正しいそうで、次の瞬間には誤答の音が鳴らされ、いろいろと判定でもめた末、結局誤答となって、中さんに圧倒的有利な状況となった。祈るような気分で24問目を聞いていたが、全く分からないうちに岩村さんが解答権を取って「ガルバーニ」を正解して中さんを阻止。とりあえずは命拾いをする。あとは、自分自身がどうにかしなければならなかった。
正解数においての岩村さん優位は変わらないので、当面の敵は中さんとなる。27問目に「銭形平次」を正解し、先行したのは中さん。すぐにでも追いつきたかった私は28問目を取りに行くが、ここでも木村さんに押し負ける。だが木村さんは完全に不調でここでも誤答。さすがにこれだけ不調だと心配にもなったが、同情をしている場合ではなかった。
29問目、遂に流れを変える問題がやって来た。前フリではさっぱり分からなかったが、「ドイツの産婦人科医グラッフェンベルク」で即座に反応し、「Gスポット」をガッツポーズを取りながら正解。「さすがKITANだ!!」と俄然調子に乗り、30問目の「権藤正利」も勢いに乗って連取して2度目の通過クイズ挑戦。
だが人生そんなに上手く行かないもので、問題がさっぱり分からず、岩村さんに阻止され、さらに通過クイズに立たれる。が、
32問目「ロシア語で「放蕩者」/」
舟太「ラスプーチン!!」
自分でも驚いた速攻押しで岩村さんを阻止。つい15問前までの自分はどこへやら、この段階でもう負ける気は無く、「絶対に勝てる」という意気込みが強かった。
35問目は岩村さん、36問目は木村さんが誤答をしたことで解答者が少なくなっていたこともあり、37問目は「辻真先」まで読ませて「迷犬ルパン」を正解し、3度目の通過クイズ挑戦。
38問目「1927年9月14日に、運転していた赤いブガッティの車軸にスカーフの縁飾りが巻き込まれて/」
問題文にはまだ読まれていないのに、「こんな死に方をした人は一人しかいない!!」と勢いを借りて決めてかかり、
舟太「イサドラ・ダンカン!」
と正解。勢いというものは恐いもので、私が3人目の通過者となった。本当に、流れや勢いというものがクイズにどれほど大切かということが身に染みて分かった。
残った2問は結局正解者が出ずにそのままの状態で終了。前半からの圧倒的なリードで、岩村さんが最後の4R進出者となった。
<通過クイズの攻防> 7問目 岩村1回目 「ペクチン」 自滅 12問目 岩村2回目 「海潮音」 西田阻止・通過席 13問目 西田1回目 「ボン・マルシェ」 勝ち抜け 16問目 鷹羽1回目 「家畜人ヤプー」 勝ち抜け 21問目 舟太1回目 「ジャスコ」 中 阻止・通過席 24問目 中 1回目 「ガルバーニ」 岩村阻止 31問目 舟太2回目 「新人類」 岩村阻止・通過席 32問目 岩村3回目 「ラスプーチン」 舟太阻止 38問目 舟太3回目 「イサドラ・ダンカン」 勝ち抜け
一口メモ
一口メモ
挑戦者 予選 1位 春日誠治 予選 2位 宮澤大輔 予選 3位 舛舘康隆 予選 4位 鈴木舟太 予選 7位 神野芳治 予選 8位 鷹羽寛 予選 9位 木下良太 予選12位 岡村悟史 予選13位 西田司 予選19位 永井智子 予選20位 上田洋一 予選32位 曽根喜則いよいよ準決勝、一対一の対決早押しボードである。私の指名順位は4番目。もちろんそれまでに上位3人のうち誰かが私を指名すれば指名権は無くなるが、好んでペーパー上位を指名する奇特な人はいくらなんでもいないだろう。そうなると、3人が一体誰を指名するか予想しづらかったが、私が一番対戦したかったのは岡村さんだった。その理由は、つい3ヶ月前の3月に行われたハッスルカップで、準決勝であと1問という時点で岡村さんと同点であったが、ペーパー上位が私であったため、このまま両者に点が入らなければ私が決勝に行けるのであった。が、最後の問題は岡村さんが正解して逆転負け。関西のオープンでは初の決勝進出を逃したのであった。「復讐」という気は全然無いし、むしろあの時は岡村さんの方が勢いがあったので、決勝へ行くにふさわしかったのは間違いなく岡村さんだったことはわかっていた。そういうわけで、ここで岡村さんを指名するのは、自分がこの3ヶ月で岡村さんに太刀打ちできるようになったかという課題のようなものだった。岡村さんを越えていれば自分が決勝へ行けるし、岡村さんが強ければ、それは自分の力がまだまだだったということで諦められる。ただ一つ問題だったのは、岡村さんはペーパー下位なので、先にペーパー上位3人に指名される可能性が比較的高いことであった。指名されてしまったらしょうがないので、残った人の中でペーパー最下位を選ぶつもりであった。
準決勝対戦カード 予選 1位 春日誠治 − 予選20位 上田洋一 予選 2位 宮澤大輔 − 予選32位 曽根喜則 予選 3位 舛舘康隆 − 予選19位 永井智子 予選 4位 鈴木舟太 − 予選12位 岡村悟史 予選 7位 神野芳治 − 予選 8位 鷹羽寛 予選 9位 木下良太 − 予選13位 西田司対戦カードも決まり、全員が所定の席に着いたことで、準決勝の早押しボードがいよいよ始まる段となった。私が対岡村さん用に考えた作戦は、早押しを捨て、ボードのみに集中することだった。対戦が2人だけだったら積極的に行くべきだが、ここの早押しボードは12人も参加している。中にはヒートアップする対戦が少なくとも2つは出てくるだろうから、指の遅い私が解答権を取れるチャンスはせいぜい1、2回で、下手をすれば1回も取れないだろう。それならいっそのこと、最初からボードのみに集中して、点を確実に拾っていく方が堅実である。4Rのボードで思い出せない問題がいくつかあったことが気にはなるが、早押しボードの問題は文が通常よりも長いので、連想できる単語が多いので別物と考え、いい方向へと持っていくことにした。それじゃぁ、岡村さんがガンガン早押し正解をしてきたらどうするのかとなるが、それは岡村さんの方が上だったということで、素直に自分が弱かったということで諦める。
1問目「自ら胃ガンであることにひっかけて「これでイガン/」
1問目の解答権を取ったのは神野。問題を推測すれば、「「これでイガン免職や」が最後の言葉となった」と続くだろうから、お笑い系の人であることは特定できたが、それが分かったところでどうにもならない。神野が自信を持って「桂春団治」と解答すると正解の音が鳴り、私を含め他の11人はボードを下げた。これによっていきなり神野が4点を獲得し、鷹羽さんに大打撃を与えた。これを見て、「岡村さんに単独正解をされたら、その時点でもう負けだな」と、ある種の覚悟もした。
2問目は「微粒子の不規則」から「ブラウン運動」、3問目はカンで「市川崑」を共に導き出し、岡村さんは連想できずに両方とも不正解とし、この段階で2対0と若干リードする。
4問目「横浜市にあった日本最初の公衆便所の維持管理を請け負い、溜まった糞尿を近くの農家に売っていたという実業家で、最初は石炭商人であったが、1883年に現在の日本セメントを創/」
解答権を取ったのは岡村さんだった。確か「セメント王」と呼ばれた人だったことまでは思い出せたが、肝心の答えとなる名前が思い出せない。クイズネタとしてはそこそこ知られる人なので単独正解は免れたが、岡村さんが「浅野総一郎」を正解したため、2対3と一問で逆転。こっちがボードで3問取る前に早押しを取られたことで、少しまずい気がしてきた。しかし、岡村さんと押し合いをして勝てるとは思わなかったので、とにかく確実にボディブローを浴びせていけば、間違いなく岡村さんに焦りが生じるという効果を期待してもいた。
すぐさま5問目の「フラウンホーファー線」で同点とし、8問目の「魔法瓶」という科学問題で一方的に得点を重ね、4対3と再逆転。もっとも、6、7、9、10問目の知識がしっかりしていれば正解できた問題をことごとく落としていたので、今一歩の詰めが甘く、なかなか点差を広げられないことにこちらが焦りそうになっていた。
11問目、「スナッチ」という聞き慣れた言葉が出てきたので初めて押しにいったが、当然押し負け。「ウェイトリフティング」はやっぱり全員正解。これで残り4問で1点差。
12問目、エピソードを前フリに「メタンやしっぽをつかむ」の時点で神野が解答権を取る。化学者で「しっぽ」と来ればもうあの人しかいないだろうと「ケクレ」を正解し、5対3と2点差に広げる。
結果的に勝負の分かれ目となった13問目。
13問目「乗馬の際にミキサー車と接触し、その怪我で引退したという、「サンディエゴ・ユニオン」誌のスポーツ記者ネルソン・フィッシャーズが戦艦ミズーリの愛称ビッグ・モーにちなんで/」
この時点で、何のスポーツの選手かは特定できなかった。だがなぜか「ビッグ・モー」→「リトル・モー」という連想が即座に働き、女性初のテニス・グランドスラマーである「モーリン・コノリー」を正解。西田の単独正解を阻止する形ともなったが、他の対戦がどう動いているかに関しては余裕がなかった。ともあれ、これで6対3とし、残り2問で早押し正解一問分の差をつけた。
そして突然の終わりを告げた14問目。
14問目「1916年にオークランド・プリザービン社など4つの食品加工会社の合併で設立したカリフォルニア・パッキング社を前身とするアメリカの食品会社で、1967年にスペイン語の「山から」という意味の/」
解答権を取ったのは岡村さんだった。あと1問残ってはいるが、ここで最後の賭けに出たようである。だが、賭けではなく正解を知っていたとしたら非常にまずい。とにかく「山」で連想してみたが、「オレオ」ぐらいしか思いつかない。しかも、「オレオ」では「山“から”」という意味にはならない。だが他に答えは思いつかないので、何も書かないよりかはマシなのでとりあえず「オレオ」を書いてボードを上げる。一方、岡村さんが挙げた答えは「ナビスコ」。半分は「違うのでは?」と思いながら、もう半分では「もしかして正解なのでは?」と迷っていたので、早く答えを知りたかった。問題文の続きは「世界最大の果物、野菜類の缶詰メーカーは何?」で、全文聞いても答えは分からなかったが、ナビスコはそういうメーカーではないので、若干肩の荷がおり、正解の「デル・モンテ」が告げられたことにより、岡村さんは−2。これにより得点は6対1となり、最後の問題を待たずに決勝進出を決めた。15問目は「ジュスト・ジャンキン監督、シルビア/」で問題が止まったが、連想で「シルビア・クリステル」と続くことを察知し、最後まで手を抜かず「エマニエル夫人」を正解し、結果としては6点差の大差で岡村さんに勝利した。
<最終成績> ○ 春日誠治 9 − 1 上田洋一 × ○ 宮澤大輔 0 − −1 曽根喜則 × ○ 舛舘康隆 5 − 0 永井智子 × ○ 鈴木舟太 7 − 1 岡村悟史 × ○ 神野芳治 9 − 4 鷹羽寛 × × 木下良太 4 − 9 西田司 ○準決勝を戦っている間は、問題に集中していたため他の対戦がどう動いていたのかはよく分からないため、結果だけで対戦を振り返ることに。
一口メモ
10問目「阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」。作詞者は佐藤惣之助、では作曲者は誰?」
問題を聞いた瞬間、「これは作った! しかも、「六甲おろし」だけでなく、「闘魂こめて」の作曲者でもあるから、勘違いはないはず。」と自信を持って「古関裕而」を解答。ボードを上げてから一瞬間をおいて、岡村さんや沼屋がいる観客席側から「おお!」という歓声が上がる。神野は「三木露風」と、なぜか詩人を解答していた。自分の勝ち抜けを信じ、解答が読まれるのを待つ。正解として「古関裕而」が読まれたことによって、私が最後のPART2進出者となった。
それにしてもこのラウンドで、私は「アデレード」とか「ジョイ・アダムソン」といった正解すべき問題を誤答し、「ノーザンテースト」や「筒井福夫」といった普段だったら誤答している問題を正解するという、勝利の女神は私を勝たせたいのか負けさせたいのか、一体どっちなのかよく分からない戦いをしていた。まぁ、最後は勝ったのだから、とりあえずは良しとしよう。
PART2に進出したのは、宮澤君、舛舘さん、私、西田の4人。宮澤君と舛舘さんは実力を出し切って、それぞれ2点、3点を保持してPART2進出。早い段階で得点下位になり苦しい戦いをしていた西田は1点、そしてサドンデスまで行った私は0点からのスタートとなる。
挑戦者 予選 2位 宮澤大輔 (あと 8○) 予選 3位 舛舘康隆 (あと 7○) 予選 4位 鈴木舟太 (あと10○) 予選13位 西田司 (あと 9○)
1問目「本名は池田和子。昭和47年大阪にあった「吉野ミュージックホール劇場」で、局部を意識的に露出するいわゆる特出しを行い、公然猥褻罪で逮捕されたという往年のストリッパーで、乳房を蝋燭/」
舟太「一条さゆり」
早押しの出だしはやっぱりKITAN系。五大対抗戦でも出題していたため、ストリッパーで反応することができた。それにしても、この人が一ヶ月後(8月3日)に死去してしまうとは。
2問目はスルー、3問目は宮澤君が正解。4問目に「第1回大宅壮一ノンフィクション賞の受賞者」を答えさせる問題で、「尾川正二」を答えるつもりが「小川正明」と、なぜか300勝投手を答えてしまう。おまけに休みの間、確実に1点取れる「美徳のよろめき」が出題され、馬鹿なことをしたもんだと、まだ始まったばかりだというのに後悔する。また、この休みの間に宮澤君が4点目を挙げ、舛舘さんを抜いてトップに立つ。
8問目「昭和59年4月13日に首吊り自殺により41歳で亡くなった漫画家で、代表作に「プレイボー/」
舟太「ちばあきお」
この問題は、最近「消えた漫画家」を読んでいて、その影響で首吊り自殺をした漫画家はちばあきおくらいしかいないという考えが頭の中を占めていたために早い段階で取ることができた。これによって得点は、席次順に4、3、2、1点と左上がり状態に。
10問目「ガレノスやアヴィケンナを激しく非難し、講義していたバーゼル大学から追放されたスイスの医学者で、本名をセオ/」
西田「パラケルスス」
ここまで一度も解答権を取っていなかった西田が初の正解。動きがなかった西田の存在を忘れつつあったのだが、科学の問題は西田と取り合いになる可能性が高いなということにようやく気付く。それにしても、スイスの医学者はパラケルススしかいないのだろうか。
11問目「本名は広太郎。その名前は史記の一節からその名を付けたという、1923年にアサヒグラフを創刊/」
西田「杉村楚人冠」
12問目「昭和35年4月15日、香川京子主演で放送され日本初のカラーテレビドラマとなった、木下順二がスペインの作家ペトロ・アラルコン/」
西田「赤い陣羽織」
13問目「日本では大正13年土井晩翠の翻訳で初めて出版された、スペインを出発し、ヨーロッパ各地を経てイタリアに到着するまでの全4巻からなる、イギリスの詩人ジョージ・バイロンの出世作である/」
西田「チャイルド・ハロルドの遍歴」
ここで西田がパラケルススを含め、怒濤の4連取。最下位の位置から一気に駆け上がって宮澤君を抜いて5点としトップに立つ。文系問題もしっかり押さえるようになったなぁ、と感心している場合ではなかったので、快進撃を止めるために私は次の問題を取りに行ったが、無駄な誤答をしただけだった。そして私の3休の間に、舛舘さんが2○、西田が1○をそれぞれ追加。しかも西田の正解は、
16問目「昭和9年4月5日、デビスカップ遠征の移動中、箱根/」
西田「佐藤次郎」
と、手が付けられない速攻。このまま西田が突っ走るのではという気がしてきた。
休みから戻った直後の18問目、「白蛇伝」を正解して私は3点目を追加。
20問目「1925年にベル研究所が開発した音の出る映画記録システム「ムービートーン」の権利を獲得したポーランド生まれの兄弟で、試作/」
舛舘「ワーナー兄弟」
舛舘さんが6点目で、西田とトップタイで並ぶ。続く21問目は宮澤君が正解して5点目を入れ、遅れだしてきたことに焦った私はまたも誤答で足踏み。
23問目「1828年にシーボルトからカール・ペーター・ツェンベリーの著書「日本植物誌」を譲り受け、この本に基づき、日本に初めてリンネの植物分類体系を紹介/」
西田「伊藤圭介」
西田がこれで7点目を入れ、優勝まであと3点とする。だが今度は先程の勢いは続かず、スルー2問のあとで舛舘さん、私、西田の順に誤答して29問目は宮澤さんのゴールデンハンマー状態。ここで「モトローラー」を難なく正解して6点目を入れ、
30問目「映画「チャンピオンズ」の題材ともなり、日本からは昭和41年にフジノオーが初めて/」
宮澤「グランド・ナショナル」
「グランド・ナショナル」は知っていたが、今まで聞いたことの無い側面から出題され、それを速攻で正解する宮澤君に、初めて脅威を感じた。これで宮澤君が西田と並ぶ7点。早押しに入ってからは思うように正解できない舛舘さんと、すでに4点差離されている私に逆転は難しい状況から、優勝争いは2人に絞られた。
32問目「本名は一(はじめ)。「桟敷の女」「十六の女」「対鏡」などの作品がある日本画家で、昭和25年に日展の主要グループ日月会を主宰した、女優朝丘雪路の実父/」
宮澤「伊東深水」
ここでリードしたのは宮澤君。これで8点目とし、優勝まであと2つ。駒澤大学初のタイトル獲得を目前にした。33問目はその優勝を阻止せんと舛舘さんが解答権を取りに行くが誤答。
34問目「富士山のレーダー観測所に記念のレリーフがある人物で、新田次郎の「芙蓉の人」のモデルに/」
舟太「野中至」
私もまた勝負を諦めずにこれで4点目。ここでこの時に司会をしていた石塚君が、「さぁ、鈴木さんにもエンジンがかかってきました」と言ってくれたが、さっきからエンジンをかけてはエンストを起こしていたので、今度もそうなりそうな気がしていた。そして今度は永久にエンジンが止まったままとなってしまった。(要するに私の出番はここまで)
35問目「弟の柴五郎は陸軍大臣だった人物で、明治25年に憲政本党で総選挙に立候補して当選し、衆議院議員としても活躍した、明治18年から帰国してから書いた政治小説「佳人/」
西田「東海散士」
「佳人之奇遇」を全部聞かせる前に西田が解答権を取り正解。これで宮澤君に並ぶ8点。36問目はスルーで、37問目は戻ってきた直後の舛舘さんが誤答。
38問目「昭和28年に文化勲章を受章した日本の地質学者で、東北大学の地質学古生物学教室を創設するなど日本の化石層序学の先駆的業績を残したことや、糸魚/」
西田「矢部長克」
先にリーチをかけたのは西田。今度もまた「糸魚川静岡構造線」を全て聞かせる前に解答権を取る見事な正解。この時点で勢いは完全に西田が上である。
39問目「イタリアのラツィオ州にあるローマの東南東約55kmにある町で、1303年にフランス王フィリップ4世の法律顧問ギョーム・ド・ノガレの率いる軍勢によって、時の教皇ボニファティウス8世が捕らえ/」
宮澤「アナーニ」
西田とは相反する形で、確実に問題を捕らえる宮澤君が追っかけリーチ。こうなってくるとどちらが優勝を手にするのか、予想することはできなかった。
40問目「1908年にケンブリッジ大学初の遺伝学教授を務めた人物で、メンデルの理論に傾倒し、メンデルの論文を英訳するなど、その普及に務める一方、ニワトリのとさか/」
解答権を取ったのは西田だった。すぐ隣で私は見ていたが、別段変わった調子はなく、いつもと同じような顔と口調で答えた。
西田「ベートソン」
この正解で10点に到達し、花と蛇杯EASTの優勝者が西田司に決定した。
決勝戦PART2が始まった段階で、西田は9点取れなければ優勝できなかったのだが、早押しの正解は目を見張るものがあった。今まで私は科学だけで西田を評価していたが、この大会での西田の活躍ぶりに、すでに私を越え、トップレベルの実力を持つことがわかった。またこの大会に優勝したことにより、名と実を一気に手にしたような印象だった。
準優勝は宮澤君。駒澤大学のプレイヤーでは唯一人のオープン大会常連という印象しかなかったが、ここまで実力を持っていたことは知らなかった。早押しの凄みは目立たないが、確実に正解を重ねる知識量は半端なものではなかった。駒澤大自体も宮澤君以外にも弥生杯などでそこそこ活躍し始めているので、安心して卒業できるだろう。
3位は舛舘さん。PART1はトップで通過したこともあり、有利な位置からのスタートだったが、どうも早押しでは誤答が多く、早押し正解数は最下位。決勝進出者の中では唯一の社会人で、白夜書房に勤めているからKITANに最も近いプレイヤーとも言えたのだが、あまり関係なかったようだった。
4位は私。各ラウンドを綱渡りで勝ち抜けてきたものの、ここではやっぱり無駄な誤答の多さが敗因だった。もっと確かな知識を増やさねばという気を起こさせた。
以上で花と蛇杯EASTの体験記を終わります。