1998/03/22
第2回デカダンスカップに参加。最寄り駅に着くと、電信柱の陰に一匹のステ猫がいた。ひとりぼっちで可哀想に思ったが、近づくとステ猫ではなくムレ猫であることに気がついた。世界で一匹しかいないレッドデータブックの絶滅危惧種に載っている動物で、今は「コームインシケン」の管理下にあるはずだが、どうも大好物のクイズにつられてここまで辿り着いたらしい。
会場に到着し、受け付けを済ませる。アンケートの一つに「この大会で一番面白かったのは?」とあり、「春日の人体自然発火」「深澤のヘアヌード」に混じって「舟太の名前の由来」という項目があるのに失笑。飯田が会場に姿を見せたので、結婚の話を聞く。今すぐではなく、来年の冬を予定しているという。確か一橋オープンの前は「別れる、別れない」とか話していはずだが、男と女の関係というのはわからんものだ。
沼田「第1回・1991年12月、優勝・山崎淳也!」
問題「来年は日本の南北朝が1つになって600年です。さて、南北朝が1つにな/」
山崎?「足利義満」
沼田「第2回・1993年3月、優勝・小川悟!」
問題「ダッフルコートなどにつ/」
小川?「トッグル!」
沼田「第3回・1994年3月、優勝・秋田芳巳!」
問題「徳川家康が亡くなったお城は駿府城ですが、豊/」
秋田?「伏見城!」
沼田「第4回・1995年3月、優勝・上野裕之!」
上野(本物)「(当てレコじゃなくて自分が)やってやろうか?」(場内爆笑)
問題「ビーカーに液体を入れて加熱したときに、激しく煮え立つのを防ぐ/」
上野?「沸騰石?」
沼田「第5回・1996年3月、優勝・田中伸之!」
問題「日本の人工衛星、第1号はおおすみですが/」
ノビ?「たんせい!」
ノビ(本物)「わしのウィニングアンサーって「たんせい」だったんだ。」
沼田「第6回・1996年8月、優勝・秋田芳巳!」
問題「銀行の頭取に当たる/」
秋田?「理事長?」
沼田「第7回・1997年8月、優勝・俺!!!!」
問題「落語「饅頭/」
沼田「熱いお茶!!」
第7回全日本かと見間違わんばかりのオープニングの中、正装に身を包んだ司会の沼田正樹が登場、第2回デカダンスカップという名の賽は投げられた。それにしても、第2回なのに、何で第7回までのウィニングアンサーが流れたんだろうか?(確信犯)
オープニングで笑ったが、ペーパークイズは真面目そのもの。筆記100問のペーパーは久しぶりだったが、20分で一通りの解答を埋め、残り10分と十分に思い出す時間が取れたので、そこそこの上乗せもできた。結果、自己採点71点と、かなりの高得点。参加者の層が厚いから、シードは無理でも2Rに1○のアドバンテージが入る16位以内には....という辺りは微妙な成績。
2Rは2○2×、各組12人中6人抜け。1組目、17位で呼ばれ、アドバンテージはギリギリで無し。順位が1つ違うだけでえらい違いだ。マイクの調子がおかしいらしく、若干のトークを入れようとしたところ、深澤が(あくまで形だけ)ヘアヌードを披露しようとしていた。ついでに「舟太の名前の由来」を沼田から振られ、「父が勝海舟が好きだから」と一言で答える。(詳しく語ると、私の誕生日である1月30日が勝海舟と同じであることと、その前年にNHK大河ドラマで「勝海舟」をやっていたことが影響したらしい。)1問目、デカダンスカップ3大会連続予選9位の塚本が押し合いを制し、いきなり勝ち抜け。4問目で石川貞雄が抜け、早くも残る席は4つ。6問目、前フリの話は聞いたことがあったので、ポイントまで引きつけてから解答権を取り「ラインホルト・メスナー」を正解。7問目で串戸、11問目で市川が勝ち抜けて残る席は2つと減ってきたが、その間に私は1問誤答しており、1○1×のダブルリーチ。他に沼屋、深澤、田中利樹の3人がリーチをかけているので、勝負に出ないとまずい。15問目、前フリで何らかの音楽イベントということはわかり、ついでに「そのエピソードって、あのイベントのことかな?」と類推。問題文が収束する辺りで「青年実業家....」と振ってきたので、半分だけ確信を持って押したが、続いた問題文は「ジェイク・ロバーツ/」と、知らない人。「しまった....飛んだか....」と思いつつ、頭に浮かんでいた「ウッドストック」を答え、誤答音が鳴らされるのを待っていたが、耳に入ったのは正解音と共に勝ち抜けを告げる音楽。起死回生の一発となり、3R進出。16問目はトシキが取ってラスト抜けし、昨日優勝した沼屋は早くも姿を消した。
3Rはボードクイズ。32人を2組に分け、各組16人中12人勝ち抜け。実力的に予選上位8人は勝ち抜けが決まっていることを前提にするべきであるから、予選下位8人で4つの席を争うと考える。予選1〜18位までは揃って2Rを抜けているので、私はA組のちょうど境目となる9番目。1、2問目は聞いたことがあるけれど覚えていなかった。3問目の「免田栄」は、まるで常識のように14人が正解。4問目の「北野丸」(アインシュタインが来日した際に乗っていた船)、7問目の「サレンコ」(サッカーW杯’94年アメリカ大会の得点王で、1試合最多の5得点を記録)を少数正解して得点を5点に伸ばす。途中経過は一切発表されないので、自分が上位12人に入っていることを祈るばかり。14問目に「クロネッカーの青春の夢」を正解して、6点を取るに留まる。牟禮・安藤16点、橋本さん・増田秀直15点、ノビさん14点、増田友弥12点と、私から見れば「何でそんなに正解できんの?」と漏らさずにはいられない成績で次々と勝者が呼ばれる。それでも6点の私はどうにか10位の成績で勝ち抜け。11位は飯田、栗田が不発で、かろうじて12位でラスト抜け。卍の年長組が逆ワン・ツー・スリーを決めた。
4Rはコーナー別。すでに予選順位によって対戦カードは組まれており、私の相手は牟禮、遠藤、塚本、串戸、新井浩さん。コーナー選択は予選上位者による1○1×で選択権を争うので、牟禮の動向を見物するだけ。2問目、牟禮が誤答したので、選択権が無くなる。それによって、余った「脱落式サバイバル」に決まる。1組目はノビさんが前半から飛ばしていたが、終盤に自滅して大倉と橋本さんが抜ける。2組目は安藤と雅也が、栗田や小川君といった強豪を全く相手にしない大差で勝利。さらに3組目も忍と増田友弥が圧勝。ここまで準決勝進出6人全てシード勢が占めていた。ようやっと4組目の出番。ルールは、前半にボード10問、後半に早押し35問、トップと7点差がついた時点で失格というもの。「ボード7問目を終了した段階で、トップの牟禮さんが7点です。というわけで、ここまで0点の舟太さんは失格です」等の事態だけは避けたかった。ボードが始まると、本当に問題が分からない&思い出せず、5問目を終了した段階で、トップの牟禮が4点で、最下位の私が0点。6問目は「キラニン」と、比較的易しい問題が来たのでホッと一息。7問目「「地のネジ」の考案者」を問うてきたので、「おっ、リテラシ杯問題集に載ってるじゃん」と「ベギエ・ド・シャンクルトア」を自信満々に解答。これが単独正解で、大喜びしたいところだったが、他の5人は私の問題集の問題を覚えてくれていなかったのかと、複雑な心境。結局、ボードを終わった段階で、トップの牟禮が6点、塚本と新井さんが4点、遠藤が3点、串戸と私が2点。この成績を持ち越して早押しに移行。個人的には牟禮が三連答してはやばや失格とかペシミスティックモードに入っていたが、他の3組とは違って接戦の展開に。15問目に「落水荘」、17問目に「テンプル騎士団(ナイツ)」を正解して+4とし、当面の危機を脱する。が、勝者争いには最後まで加われずじまい。勝負は牟禮、遠藤、塚本、新井さんの4人が接戦を繰り広げ、一定のペースで加点を続けていた遠藤が終盤に3人を引き離し勝利を決定。(この間に串戸は7点差で失格)34問目終了の段階で牟禮と新井さんが8点で並び、予選成績により塚本の勝利が消える。準決勝の席に着くのは牟禮か新井さんか、最後の問題となる35問目、遠藤と私はボタンから手を離す一方で、塚本は押す気満々。こうした状況を経験するのは初めてで、自分がこうした立場になったらどうするか考えたことはなかったが、ボタンを押さない行動を選んだわけである。こういう場合、「真剣勝負を投げるな」という人と「勝敗に関係ない人が邪魔をするな」という人に分かれるだろうが、それは個人の意思である。次にこうした機会があった場合、私は心変わりをして押す方に回るかもしれないし。で、35問目の行方はというと、新井さんが勝負に出て見事正解し、会場中の喝采を受けて準決勝進出。牟禮がシード選手8人のうち、ただ一人4R敗退となった。
準決勝の一騎打ちは、第1試合は安藤が忍を5対4で辛勝、第2試合は大倉が新井さんを5対2、第3試合は橋本さんが増田友弥を5対3、第4試合は遠藤が雅也を5対1と、見所一杯の勝負となった。決勝戦は、私にはほとんど分からなかったが、前2回のデカダンスと違って挑戦者はその難問題を次々と正解していく。結果、橋本隆弘さんが第6回全日本、第2回京都オープンに続く優勝を手にした。
こうして大会の幕は閉じ、沼田正樹のクイズ生活はひとまずお休みに入る。どこの世界でもそうだけれど、優秀かつ貴重な人物がその世界から消えてしまうのは大きな損失である。それでもその世界は続けなければならない。自分も、そうした惜しまれる存在になりたいものである。