武士が元服をする際、烏帽子親から「仮名」と「諱(いみな)」を付けてもらいます。
*「元服」:男子の成人の儀式のことです。
*「烏帽子親」:元服をする男子に、烏帽子を被せて名付け親になる者のことです。
主人公で例えると、「小四郎」が「仮名」、「義時」が「諱」になります。
この「諱」が何かというと、簡単に言えば本名です。
本名があるのに、なぜ義時という本名を呼ばないのか? これは「本名を呼ぶことは忌むべき行為」とされていたためです。
ナレーション「平安末期はそういう時代である」
平安末期に限りませんが、つまり「忌むべき名前」→「忌み名」なのです。
忌み名である本名を呼んではいけないので、呼んでもいい名前として「仮名」が付けられるのです。
『鎌倉殿の13人』の登場人物の中では、仮名が「次郎」の人物は主要メンバーだけでも土肥次郎実平、畠山次郎重忠、三浦次郎義澄と3人います(江間次郎、河田次郎を含めると5人)。「九郎」というと真っ先に源義経が浮かびますが、伊東祐清も「九郎」です。
千葉常胤「それにしても九郎殿は強かった」
同じような名付け方をしていると、一族内で同じ仮名の者が出てきてしまいます。それを避けるため、「小太郎」や「藤九郎」といった感じで変化を付けることがあります。
宗時が「三郎」、義時が「小四郎」、時房が「五郎」。兄弟三人を並べると、義時にだけ何で「小」の字が? という小さな疑問が浮かびます。父・時政の仮名が「四郎」なので、「父と同じにするの避けたのかな?」といった推測の仕方もできます。
那須与一は上に十人の兄がいる十一男でしたので、十一を「十と余る一」とし、「十余る一」→「余一」→「与一」と名付けられました。
八重「文字とは面白いものですね」