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場面1 北条義時の館の出入口
北条義時が奥州へ向かうため館を出ると、善児が待機していた。善児もすでに出発の準備を整えていた。義時の返事を聞かず、善児は義時の奥州行きに同行する。
善児「梶原の旦那様に言われたんですよ。お供しろって。」
善児「何かと役に立ちますよ」
善児「さあ、参りましょう」
場面2 奥州平泉、源義経の館
義時が源義経の館を訪ね、善児も帯同させる。義時が義経と会話する間、後ろに控えている善児は義経を観察し続ける。
場面3 奥州平泉、源義経の館を出た所
義時が、義経は自分のことを欺いているのではないかと、元は百姓であった善児に尋ねる。
善児「へえ」
善児「爪の間に泥がへばりついていました」
善児「あれは百姓の手です」
善児「やっちまいましょうか」
善児「寝首をかくのは造作もねえことだ」
義経を観察していた善児は、百姓の手であると答える。それに加えて、義経の暗殺を提案してくる。義時はこれに対して「余計なことはするな」と善児に釘を刺す。
場面4 奥州平泉、源義経の館
義時が義経に、静御前の身に起きた出来事を話す。善児はこれを黙って聞いている。
場面5 鎌倉、御所
義時の話の中。静御前が生んだ赤子が男であったため、由比ヶ浜へ沈められることに。その赤子を連れ去っているのは善児であった。
場面6 奥州平泉、源義経の館の外
義時の話を聞いた義経が刀を手に取り、藁束を斬る。その様子を見た義時は「うまく運んだようだ」と手応えを得る。善児はそれを黙って聞いている。
場面7 奥州平泉、藤原泰衡の館
義時が藤原泰衡に対し、義経が藤原国衡と挙兵の準備をしていることを告げる。義時は泰衡に、義経の首を源頼朝に送り届けるよう焚き付ける。話の途中で、藤原頼衡が割って入る。兄を惑わす義時に、頼衡は刀を抜いて斬りかかる。そこへ善児が不意打ちで頼衡の首を一刺しして殺害する。頼衡殺害は突発の出来事だったが、義時は「もう後には引けませぬ」と泰衡をさらに煽る。
場面8 奥州平泉、藤原泰衡の館の外
種をまき終え、義時は鎌倉へ戻ることに。善児に頼朝への手紙を預け、鎌倉へ先行させる。
善児「へえ」
時期
西暦1186年(文治2年) 7月 *上述の場面5のみ
西暦1189年(文治5年) 4月 *上述の場面5以外
今回の被害者
源義経と静御前の子(7人目)
藤原頼衡(8人目)
善児の裏の顔について知っている人物
私の個人的なメモ
善児の活動記録 (01)#01「大いなる小競り合い」 (02)#05「兄との約束」 (02+α)#07「敵か、あるいは」 (03)#09「決戦前夜」 (04)#11「許されざる嘘」 (05)#15「足固めの儀式」 (06)#20「帰ってきた義経」 (07)#22「義時の生きる道」 (08)#24「変わらぬ人」 |